結局、美鈴は来ませんでした。携帯電話のメールも確認しましたが返信も無く
体のほうも検査結果は異状は無しで熱も下がり、回復して来たので退院し一日だけ自宅で療養の後仕事に復帰し
弁護士にも連絡を入れ交渉の再開の打ち合わせをしました。
交渉再開の日、これまでの主張を撤回し離婚に応じることを話すと弁護士は少し驚いていましたが
心の整理が付いたことを説明し、可能な限り速やかに全ての手続きを済ませる条件を伝えました。
その日から私が必死で押し留め、押し戻そうとしていたものが終局へと動き出しました。
離婚に同意したその日、これまで美鈴からの返信が無くとも少しでも繋がりを保とうと定期的に送っていたメールも止め
携帯電話を買い替え、新しい番号は弁護士だけに教え、メールは誰にも教えませんでした。
マンションに残る美鈴の私物や財産の引き取りを求め日程を決め、
当日私が家を空ける間に美鈴側が荷物を搬出し、残ったものは全て例外無く処分し長年住み慣れたマンションを解約し
最低限のものだけを持って新たに借りたアパートへ生活の拠点を移しました。
慰謝料の件で男からかなりの高額な提示をされましたが弁護士に助言を求め一般的な金額を聞き、
その相場より安い金額の要求と早期に振り込むこと。離婚届の証人は男と美鈴側で見つけ、
弁護士立ち会いの下、私の手で提出することの条件を出しました。
男は私が心変わりをするのを警戒したのか離婚が成立した後の振込みを主張して来ましたが
弁護士が予備として一通を保管し、例え私が心変わりをしようとも
弁護士がもう一通を使い提出するという条件を出すと男は同意しました。
そして二通用意された離婚届に署名と捺印をし、男から振り込みが行われましたが、最初に提示して来た高額な金額が振り込まれており
弁護士を通し苦情と不快感を伝え差額を返そうとしましたが男は頑なに拒否し、長引くのを嫌った私は
妥協して差額の一部は美鈴からの慰謝料分として受け取り協議書を書き換え、残りは弁護士の説得もあり突き返しました。
そして離婚届を提出する日はやって来ました、私は市役所で弁護士と合流し、整理券を取り
待合い席に座り順番を待ちました。その日は混んでおり、三十分ほど待った時
弁護士の携帯に着信が入り弁護士は周りに気を使い小声で話していました。
そして怪訝な顔で私を呼び、美鈴からで私に電話を代わって欲しいと言っていると言いました。
私は電話を受け取りましたが、男と美鈴が言い争い揉み合うような音が聞こえ、その中で
美鈴は私を呼んでいました。男の怒声が聞こえ何かにぶつかり壊れるような音がし、雑音の後通話は途切れてしまい
弁護士が用件を尋ねて来ましたが、切れてしまった。あの男と一緒に居たみたいだが良く分からない。そう答え携帯を返しました。
弁護士が美鈴に電話を掛け直そうとした時、感情の無い音声が整理券番号を読み上げ、電光掲示板に番号が点滅し
私は立ち上がり受付カウンターへ向かいました。弁護士も急いで電話を仕舞い立ち上がり、カウンターで私が離婚届の提出をするのを見届けました。
市役所を出て弁護士と受理通知についての話をした後、あのメモリーカードのデーターを写真印刷したものと
彼女の一連の行動に強い不快感を表した手紙を入れた封筒を美鈴の忘れ物だと託し帰宅しました。
十日ほど経ち、弁護士から離婚届の受理通知が美鈴に届き離婚は成立したとの連絡がありました。
今後の手続きについて聞いた後、いつもは場数を踏んだ何処か流れ作業的で事務的な感じの弁護士が
終始困惑した口調であることに違和感を感じ、書類か手続きに不備でもあったのかと思い尋ねました。
弁護士は離婚の件に関しては問題無く受理されたが、美鈴の件で伝えたいことがあると言い
彼女が私と会って話がしたいと言っていると切り出しました。
私は断り電話を切ろうとしましたが、弁護士は慌てて、まだ美鈴とは代理人契約が残っており
騙して会わせるようなことはしないので、せめてお話だけでも聞いて頂きたい。
電話では話せない内容なのでお会いすることは出来ないか。そう言いました。私は一度だけとの条件で了承し日取りを決め、電話を切りました。
そして次の休日、もう行くことは無いと思っていた弁護士事務所へ赴き、扉を開けると
事務所は休みのようで職員は居らず弁護士本人に出迎えられ応接室へ通されました。
弁護士から美鈴が私に宛てた手紙入りの封筒を渡され、彼女に一切の助言はしていないと断りの上で以下の説明を受けました。
離婚届提出の日、男に管理されていた携帯電話を隙を見て取り戻し私に直接連絡をし、離婚を止めようとしたが繋がらず、
弁護士経由で私に連絡の最中、男に見つかり逆上して壊され
男を振り切り着の身着のままで家を飛び出し市役所へ駆け込み、離婚届の撤回を懇願したが取り合って貰えず
私に会いたい一心で住み慣れたマンションへ戻ると名札は外され空室になっており
藁にも縋る思いで弁護士事務所へ行ったものの既に閉まっており、そこで一晩を過ごしたこと。
男との出会いは一年前で、私が帰国した時に綺麗になって喜ばそうと思い通っていたスイミングスクールで言い寄られ
既婚者で私を愛していると断っていたが心の隙を突かれ熱烈な求愛に心を奪われ、恋愛感情を持ち
ついには関係を持ってしまったこと。
その関係は一ヶ月ほど続き、浮ついた気持ちのままお彼岸に私の両親が眠る墓へ行き手入れをしようとした時
以前私に写真を見せられ温和な印象を持っていた両親に凄まじい形相で叱責されているように感じたことで
私のことを思い出し、私を裏切ってしまった罪悪感に苛まれ目が醒めたこと。
墓の手入れをしなければと何度もお墓の手前までは行ったが、どうしても墓前に行けなかったこと。
冷静な気持ちで男の言動を見れるようになってからは、自分とは全く違う世界の人間だと分かったこと。
それ以降は理由をつけて男との関係を断り、別れを切り出す機会を探していたが強引に求められたことがあり、
身辺の整理を済ませるまで待って欲しいと、心にもないその場凌ぎの言葉で男に目標を持たせてしまい、
意図とは全く異なる方向へ走り出した男にどうすることも出来ず、私に正直に話す勇気も出ず
私に心があると感付いた男に携帯電話を取り上げられ脅されて再び現実逃避に走り、言いなりになってしまったこと。
弁護士から離婚届の提出に行く連絡が入った後、急速に現実に戻ったこと。
男とはもう縁を切っており会ってはいないこと。
写真や会話については何も言えない。あの頃は完全に自分を見失っていた。謝ることしか出来ない。
美鈴は憔悴し終始泣いており、言い出せば切りが無いが、全て正直に話し心から後悔と反省をしている様子だったと言い
今すぐにでも私に会いたい。せめて連絡先だけでも教えて欲しいと言っている。
どうなされますか?弁護士は尋ねて来ました。