祖父のせいで私が修羅場だった話です
中国に興味があった祖父はある時、親戚の大学教授たちとみんなで中国旅行に行った
そこで好奇心から色々やらかした(内容は同行者語らず。ただハプニングがあったとだけ帰国後、聞いた)おかげで、ある上品な老人と友達になった
滞在中はその老人が色々な場所を案内してくれて、祖父には非常に有意義な旅だったらしい
帰国する時に
「二人の友情に」
と古い中国の貨幣をもらい、それをループタイの飾りにして大事にしていた
念願の旅行に行ってからますます中国が好きになった祖父
が、たびたび行くのは家族もいい顔をしない
そこで妥協で横浜の中華街に行こうと思い付いた
しかし一人では家族が納得しないから、と三国志が大好きな中学生の私を同道させることにした
「孫子も三国志が好きならば中国というものを肌で感じさせてやらなければ。しかし海外に行かせるのは心配だと分かっている。だから横浜ならば安心だろうが」
という訳の分からない理由で、思い立ったその日に私は新幹線に乗せられていた
中華街では祖父は行動力と好奇心をいかんなく発揮
私も中国が好きなので、こうなったら何か欲しいものを買ってもらおうとずるいことを考えていた
やがて昼時になり、あるレストランに入った
祖父は
「中国で見た時代劇ではお茶を出されたらこうしていた」
と不思議なしぐさをした
するとそれを見たウェイターの顔色が変わった
すっと奥に入り、やがて何人かの男たちがこっちに来た
周りを見ると今までいた他のお客たちがいない
すでに私の頭の中では
「祖父と孫、謎の失踪」
など勝手に翌日の朝刊記事が作られていた
祖父はメニューから目を離さない。私は恐怖で声も出ず、思わず祖父の足を蹴った
「何だ!」と顔を上げた祖父。すると男の一人が中国語で話し掛けて来た
が、二人とも中国語は分からない
しかし男は早口、しかもかなり怒った様子で話し掛けて来る
祖父は分からないのにうなずくから、余計に相手の怒りを買ったらしい
男が手を振ると、私たちは周りを囲まれた
ここでようやく祖父も身の危険を感じようだが、遅かった
男の一人が胸元から何か出そうとした
その時、一人が声を上げて祖父の胸を指差した
そこには中国で老人からもらった貨幣があった
「これはどうした?」と片言で聞かれ、祖父が経緯を話すと私の頭の上で会話が始まった
聞き取れたのは「ターレン」だけ
それでも私たちは数分後にはこれまでと違い、ものすごく丁重なもてなしを受けた
いつもなら豪華な料理にはしゃぐ祖父だったが、さすがにこの時は脅えていた
「欲しいもの何でも買ってやる。だから絶対!に誰にも言うなよ」
そう言われたが、もちろん言うはずがない
祖父がしたしぐさは黒社会の符牒だったと予想
>>777さん
ありがとうございます
すべておっしゃる通りです
祖父は好奇心と行動力の固まりで、そして嵐のような人
故にその行動が誰かの教訓となるような人でした
バイクに乗ってて車と正面衝突したのに、あまり痛くなかったからと何もせずに帰宅
しかしだんだん痛くなって来た
で、3日後にぼそっと「腰が痛い」
「何で?」と聞かれて「車とぶつかった」と話した後の修羅場はプチですが、忘れられない
書き込もうとするとすぐに規制されて小出しになりすいません
後、あんまり修羅場でもなかったみたいで支援下さった方々には本当にすいませんでした