454: 名無しさん@おーぷん 2017/03/14(火)09:34:13 ID:PHL
流れを切ってごめん。
暗い話を投下するので不快に感じる方がいたら先に謝ります。
どうしても短くまとめられなくて長くなりました。
以前住んでいたアパートで出会った兄弟の話。
震災と死人が出てくる話なので注意。
地方から高校卒業と同時に関西に出てボロいアパートで暮らしていた時のこと。就職して一年足らずで会社が倒産して、そのころの私は再就職口を探しつつなけなしの貯金を切り詰めて生活していた。
隣に住んでいた母子が今でいうDQN風で警戒していたんだけど、ある日そのDQN風一家の長男がピンポンを押してきた。(男の子三人の兄弟だから、以下長男、次男、三男と書く。)
正直、怖いと思った。一応騒音とかには気を遣っていたし、苦情を受けるようなことはしていないはずだけどと思いつつチェーンをかけたままちょっとだけ開けて要件を聞いた。
そしたら「子供用の弁当の作り方を教えてほしい」だったんだ。
どういうことか聞いたら、明日弟が遠足で弁当がいるけど作り方を見てもわからないから教えて欲しいって感じのことを言われた。
恰好は金髪プリン(生え際黒)の耳にたくさんピアスのついたチャラい系だったけど、手に何かテキストっぽいものを持ってて、口調はちょっと擦れた感はあったけど敬語だったことから玄関を開けた。
今思うと怖い、関わらないようにしようって思っていた相手が家に来てチェーンを外したことが不思議なんだけど就職活動で行き詰っていたし、気分転換に変わったことがしたかったのかもしれない。
就職するまで地元から出たことがなかったから友人も地元勢ばかりだったし、
社会人になってからできた会社の友人たちは私同様再就職口を探すのに必死でたまに電話して愚痴を言い合うくらいだったから。
長男が持っていたテキストは園児くらいの子供がいるお母さんが読むようなレシピ本で、買ってきたものの作り方を読んでも用語が理解できないとのことだった。○○切りとか、卵白を切るとか。
三男にオムライスをリクエストされたらしく、作ったことないしぶっつづけ本番より練習しようと思ってありあわせで作ったら失敗して、レシピ本を買ったら意味不明でお隣ピンポンの流れだったらしい。
玄関先で一応自炊はしているけど私もそれほど料理が得意なわけじゃないからわからないこともあると思うと最初に断って、
レシピ本に載っていた用語を解説していたんだけどその時に長男が「タッパーじゃかわいそうッスかね?」って聞いてきた流れで遠足グッズ一式がないことが判明し急遽買い出しに行った。
最初は警戒しいしいだった私も話しているうちに「見た目ほど悪い感じの子じゃないな」と思ってつい親身になった。
近くのスーパーまで行って、あれこれ買い込んでいる時に家庭の事情をぽつぽつ話してくれたんだけど、それが以下の通り。
暗い話を投下するので不快に感じる方がいたら先に謝ります。
どうしても短くまとめられなくて長くなりました。
以前住んでいたアパートで出会った兄弟の話。
震災と死人が出てくる話なので注意。
地方から高校卒業と同時に関西に出てボロいアパートで暮らしていた時のこと。就職して一年足らずで会社が倒産して、そのころの私は再就職口を探しつつなけなしの貯金を切り詰めて生活していた。
隣に住んでいた母子が今でいうDQN風で警戒していたんだけど、ある日そのDQN風一家の長男がピンポンを押してきた。(男の子三人の兄弟だから、以下長男、次男、三男と書く。)
正直、怖いと思った。一応騒音とかには気を遣っていたし、苦情を受けるようなことはしていないはずだけどと思いつつチェーンをかけたままちょっとだけ開けて要件を聞いた。
そしたら「子供用の弁当の作り方を教えてほしい」だったんだ。
どういうことか聞いたら、明日弟が遠足で弁当がいるけど作り方を見てもわからないから教えて欲しいって感じのことを言われた。
恰好は金髪プリン(生え際黒)の耳にたくさんピアスのついたチャラい系だったけど、手に何かテキストっぽいものを持ってて、口調はちょっと擦れた感はあったけど敬語だったことから玄関を開けた。
今思うと怖い、関わらないようにしようって思っていた相手が家に来てチェーンを外したことが不思議なんだけど就職活動で行き詰っていたし、気分転換に変わったことがしたかったのかもしれない。
就職するまで地元から出たことがなかったから友人も地元勢ばかりだったし、
社会人になってからできた会社の友人たちは私同様再就職口を探すのに必死でたまに電話して愚痴を言い合うくらいだったから。
長男が持っていたテキストは園児くらいの子供がいるお母さんが読むようなレシピ本で、買ってきたものの作り方を読んでも用語が理解できないとのことだった。○○切りとか、卵白を切るとか。
三男にオムライスをリクエストされたらしく、作ったことないしぶっつづけ本番より練習しようと思ってありあわせで作ったら失敗して、レシピ本を買ったら意味不明でお隣ピンポンの流れだったらしい。
玄関先で一応自炊はしているけど私もそれほど料理が得意なわけじゃないからわからないこともあると思うと最初に断って、
レシピ本に載っていた用語を解説していたんだけどその時に長男が「タッパーじゃかわいそうッスかね?」って聞いてきた流れで遠足グッズ一式がないことが判明し急遽買い出しに行った。
最初は警戒しいしいだった私も話しているうちに「見た目ほど悪い感じの子じゃないな」と思ってつい親身になった。
近くのスーパーまで行って、あれこれ買い込んでいる時に家庭の事情をぽつぽつ話してくれたんだけど、それが以下の通り。
455: 名無しさん@おーぷん 2017/03/14(火)09:35:00 ID:PHL
母子家庭で父親は三男が生まれてすぐにいなくなった。
それ以来母親は水商売をして三人を育ててくれたけど、元々父親がいたころから母親は家事をしない人だったらしく、兄弟は誰も遠足や運動会で弁当を作ってもらったことがなかったそうでカップ麺を渡されて水筒にお湯を入れていけと言われていたそうだ。
家でも食べているのはカップ麺ばかりだって。
長男はもう社会に出た(年齢的には高校生)けど、三男まで当時の自分たちと同じ思いをさせたくないと思って弁当作りに挑戦したらしい。
買い物しながらそういう事情を聴いて、外見で「ここの母子怖い」って思い込んでごめんって気持ちが強くなって、アパートに戻ってから家にあげて一緒にオムライス作った。
お弁当屋さんが作るようなふわふわってわけにはいかなかったけど、それでも長男は嬉しそうに戻って行って、後日缶に入ったクッキーの詰め合わせをもらった。
三男がすごくよろこんだって。
人に話しかけてもだいたい邪険にされてばかりいたからまともに相手してもらえてうれしかったってはにかんで言われて、その顔がどこにでもいる男の子の顔だったからついお節介で「髪黒くしたほうが大人から受ける印象はいいよ」って言った。
その時はちょっとムッとした風だった。私自身、言ってから少しだけ年上ってだけで何を偉そうにと反省した。
弁当作りの直後に私も就職が決まって家にいる時間が短くなったから、会う機会がないまま半年くらい経った。
偶然アパートに戻ったのが重なった時に黒髪になった長男に声をかけられて、最初だれかわからずに「???」ってなった。ピアスもやめてたし。
それで長男からお礼を言われた。
お礼を言われるようなことに心当りがなくてさらに「???」ってなっていたら、ピンポン鳴してきた時より明るくなった顔でお礼の内訳を話してくれた。
黒髪を進められて反発したものの弁当を作って以来少しずつ料理をするようになって、仕事にも弁当を持って行くようになったら親方(ガテン系っぽい)が見ていたらしく、「若いのに自分で作ってくんのか、偉いなって」褒めてくれたらしい。
それでその親方に弟の弁当を作った流れを話したら、そこでも黒髪を進められたらしい。ヘルメット被っているから染めると将来俺みたくハゲると親方は茶化したそうだけど、見た目で損なら今まで散々しただろうって言われて黒髪に戻した。
そうしたら今までトゲトゲだった周囲の反応が少しずつ柔らかくなって、頭ごなしに否定したり命令したりする大人もいるけど、親身になってくれる大人もいるとわかったそう。
特に親方には可愛がってもらえるようになったそうで、家でご飯を食べさせてもらったり、奥さんから簡単に作れる料理を教えてもらえるようになったりしたそう。
資格があったほうが将来の役に立つから金貯めて何か資格を取れと助言を受けて積み立てをはじめたって。
そのきっかけがあの弁当作りだったから、お礼が言いたかったって言われた。
それ以来母親は水商売をして三人を育ててくれたけど、元々父親がいたころから母親は家事をしない人だったらしく、兄弟は誰も遠足や運動会で弁当を作ってもらったことがなかったそうでカップ麺を渡されて水筒にお湯を入れていけと言われていたそうだ。
家でも食べているのはカップ麺ばかりだって。
長男はもう社会に出た(年齢的には高校生)けど、三男まで当時の自分たちと同じ思いをさせたくないと思って弁当作りに挑戦したらしい。
買い物しながらそういう事情を聴いて、外見で「ここの母子怖い」って思い込んでごめんって気持ちが強くなって、アパートに戻ってから家にあげて一緒にオムライス作った。
お弁当屋さんが作るようなふわふわってわけにはいかなかったけど、それでも長男は嬉しそうに戻って行って、後日缶に入ったクッキーの詰め合わせをもらった。
三男がすごくよろこんだって。
人に話しかけてもだいたい邪険にされてばかりいたからまともに相手してもらえてうれしかったってはにかんで言われて、その顔がどこにでもいる男の子の顔だったからついお節介で「髪黒くしたほうが大人から受ける印象はいいよ」って言った。
その時はちょっとムッとした風だった。私自身、言ってから少しだけ年上ってだけで何を偉そうにと反省した。
弁当作りの直後に私も就職が決まって家にいる時間が短くなったから、会う機会がないまま半年くらい経った。
偶然アパートに戻ったのが重なった時に黒髪になった長男に声をかけられて、最初だれかわからずに「???」ってなった。ピアスもやめてたし。
それで長男からお礼を言われた。
お礼を言われるようなことに心当りがなくてさらに「???」ってなっていたら、ピンポン鳴してきた時より明るくなった顔でお礼の内訳を話してくれた。
黒髪を進められて反発したものの弁当を作って以来少しずつ料理をするようになって、仕事にも弁当を持って行くようになったら親方(ガテン系っぽい)が見ていたらしく、「若いのに自分で作ってくんのか、偉いなって」褒めてくれたらしい。
それでその親方に弟の弁当を作った流れを話したら、そこでも黒髪を進められたらしい。ヘルメット被っているから染めると将来俺みたくハゲると親方は茶化したそうだけど、見た目で損なら今まで散々しただろうって言われて黒髪に戻した。
そうしたら今までトゲトゲだった周囲の反応が少しずつ柔らかくなって、頭ごなしに否定したり命令したりする大人もいるけど、親身になってくれる大人もいるとわかったそう。
特に親方には可愛がってもらえるようになったそうで、家でご飯を食べさせてもらったり、奥さんから簡単に作れる料理を教えてもらえるようになったりしたそう。
資格があったほうが将来の役に立つから金貯めて何か資格を取れと助言を受けて積み立てをはじめたって。
そのきっかけがあの弁当作りだったから、お礼が言いたかったって言われた。
456: 名無しさん@おーぷん 2017/03/14(火)09:35:32 ID:PHL
それから時々世間話で近況を話したり、長男の恋愛相談を受けたりしてた。次男、三男とも打ち解けて話すようになった。
たまにお菓子を作って渡したり、スーパーで買い物して帰った時に偶然あって荷物を持ってもらえたり、味気なかった一人暮らしが楽しくなった。
私が失恋して落ち込んだ時に冗談を言って兄弟が励ましてくれたりもした。あの当時を振り返って彼らと過ごした時間が一番楽しかったと思う。
この先から震災の話になるので気分を害される方は回避してください。
兄弟と出会って数年が経って、長男が彼女と結婚が決まったって言っていたころ、震災があった。
私たちが住んでいた場所は一瞬でぐちゃぐちゃになった。
私は出火する前に引っ張り出されたから助かったけど、家財は全部燃えたし、倒壊した家屋の下敷きになった私は軽度ながら障害が残り地元に帰った。
お隣に住んでいた彼らがどうなったのか、私自身生活を立て直すのに必死で気にかける余裕がなかった。
写真が出てきたからたまに当時を思い出すことはあった(近況報告で実家に手紙を書いた時に一緒に撮った写真を同封した)けど、父が亡くなったり認知症になった祖母の介護があったりで日常が慌ただしかった。
震災のことを思い出すのがつらかったって言うのもある。
それから年月が過ぎて、主人の仕事の都合で最近になって再び関西に戻ってきた。
私が被災したことを知っているので主人は単身で行くことも考えたけど、業務上単身の期間が最低でも五年、もしかしたら定年まで赴任先にいることになるって話だったから不安もあったけどついていくことに決めた。
少し前インフルが流行っている時期に、下の子が感染して病院で偶然次男に再会した。
私は次男だとわからなかったけど、向こうが私だとわかって「○○さんですか?」って声をかけられた。
お互いインフル疑惑の子供を連れていたし、そう長話はできなかったけど診察の待ち時間に当時の話を聞いた。
たまにお菓子を作って渡したり、スーパーで買い物して帰った時に偶然あって荷物を持ってもらえたり、味気なかった一人暮らしが楽しくなった。
私が失恋して落ち込んだ時に冗談を言って兄弟が励ましてくれたりもした。あの当時を振り返って彼らと過ごした時間が一番楽しかったと思う。
この先から震災の話になるので気分を害される方は回避してください。
兄弟と出会って数年が経って、長男が彼女と結婚が決まったって言っていたころ、震災があった。
私たちが住んでいた場所は一瞬でぐちゃぐちゃになった。
私は出火する前に引っ張り出されたから助かったけど、家財は全部燃えたし、倒壊した家屋の下敷きになった私は軽度ながら障害が残り地元に帰った。
お隣に住んでいた彼らがどうなったのか、私自身生活を立て直すのに必死で気にかける余裕がなかった。
写真が出てきたからたまに当時を思い出すことはあった(近況報告で実家に手紙を書いた時に一緒に撮った写真を同封した)けど、父が亡くなったり認知症になった祖母の介護があったりで日常が慌ただしかった。
震災のことを思い出すのがつらかったって言うのもある。
それから年月が過ぎて、主人の仕事の都合で最近になって再び関西に戻ってきた。
私が被災したことを知っているので主人は単身で行くことも考えたけど、業務上単身の期間が最低でも五年、もしかしたら定年まで赴任先にいることになるって話だったから不安もあったけどついていくことに決めた。
少し前インフルが流行っている時期に、下の子が感染して病院で偶然次男に再会した。
私は次男だとわからなかったけど、向こうが私だとわかって「○○さんですか?」って声をかけられた。
お互いインフル疑惑の子供を連れていたし、そう長話はできなかったけど診察の待ち時間に当時の話を聞いた。
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