そんなこんなで抗がん剤治療と無菌室行き、回復してからの夜話会、そして綾ちゃんとのデートを繰り返しながら、手術前の3クールをなんとか乗り切った
デートと言っても2人で病院から出たりは出来ないから、院内を散歩したり売店行ったり夜話会の後に2人残って話したり程度
それでも俺にとっては十分だった
治療の副作用が抜けるのを待って、俺は手術を受けた
抗がん剤の効きは期待ほどじゃなかったそうだ
けど、可能な限り筋肉の機能を残しながら、がん細胞が残らないように手術をしてくれたとの事だった
リハビリを頑張れば右手はかなりのところまで元通りになる、がんばろうと先生に言われた
1年近くベッドの上ばかりで生活してたから、トレーニングで動けるのが嬉しかった
おれより数ヶ月前に手術を受けてた綾ちゃんと一緒にリハにいったりもした
無論綾ちゃんの調子がいいとき限定だが(綾ちゃんはすでに術後の抗がん剤治療が再開してた)
そして手術から1月後、俺にも術後の抗がん剤治療がはじまった
手術前とは違うクスリがメインだった
透明な、ぱっと見は水みたいなクスリ
このクスリは赤&透明ほどの吐き気はこない(それでも吐く時は吐くが)代わりに、血液成分にダメージが大きいクスリだった
これを投与されると白血球が格段に減って、すぐ無菌室行きになる
しかも投与期間が長いので、2週間以上無菌室に閉じ込められる事が増えていった
もちろん減るのは白血球だけじゃない
赤血球が減るから強烈な貧血になるし、血小板が減って血が止まらなくなる
何かの拍子で鼻血が出て、1時間以上止まらない事も何度もあった
その状態で寝てると鼻血がに咽に降りてきて吐き気を誘発するんだが、副作用で体力が消耗してるから起き上がっていられない
そうこうしてるうちに咽に降りてきた鼻血ごと吐いて、それが原因で今度は咽から血が出る、なんてループに陥ることもあった
その頃手の甲を軽くすりむいたことがあるんだが、その時も2時間くらい血が止まらなかった
今でも傷跡が残ってる
けどそんなことより、綾ちゃんとなかなか会えないのが一番つらかった
綾ちゃんも同じクスリを投与されてるから、お互いに無菌室で会い様がない、という状態が多かった
そうじゃない場合でも必ずと言っていいほどどちらかの調子が悪く、一緒に散歩に行ったり出来る機会も格段に減った
そんな状態がしばらく続いた後、綾ちゃんの抗がん剤治療が終わった
綾ちゃんは徐々に副作用から回復して、また会える機会も増えていった
けどそれは、綾ちゃんが退院する時が近づいてるって事でもあった
綾ちゃんの退院日はあっと言う間に近づいてきて、その日俺は無菌室にいた
俺は生死に関わるような病気じゃなかったけど
小1から点滴しまくったり手術しまくったり入院しまくったりして今に至る
というか入院期間が累計1年半くらいなんだけど他の患者さんと仲良くなったことがない
個室だからいけないのか
>>67
入院はつらいよな
同い年の奴らが学校行ってる間に俺はなんでって気持ちになる
個室の人はやっぱり知り合い出来にくいと思うよ
談話室とかにしょっちゅう来てればそうでもないのかもしれないけど、どうしても部屋にいることが多くなると思うし
当然見送りになんていけないって事は綾ちゃんも分かってて、両親が退院手続きやらなにやらしてる間、ずっと俺の部屋にいてくれた
何を話したか、正直あまり覚えていない
油断したら今にも泣きそうだったから、必死こいて耐えてた
最後に綾ちゃんが俺にキスをして「手紙書くからね。ちゃんと返事送ってね」って言った事だけはよく覚えてる
綾ちゃんが出て行ってから、布団にもぐってちょっと泣いた
小児がんでな
ぜひ話を聞かせて欲しい
綾ちゃんが退院してからも数ヶ月間俺の治療は続いた
俺と綾ちゃんの文通?は週1往復くらいのペースで続いてたし、定期検査のときはお見舞いにも来てくれた
そして俺も退院した
退院は凄く嬉しかった
抗がん剤治療がない、普通の体調で、普通にご飯を食べられる毎日が戻ってくるなんて夢みたいだった
退院してしばらく経った頃には髪の毛も生えてきて、猫っ毛の坊主みたいなちょっと変な髪型になってた
凄いクセっ毛の変な髪だったけど、帽子無しで人前に出られることが幸せだった
病院ってのはなるべく遠ざかっていた居場所だよな・・・
何人かの人と相談して、俺は高校には行かず大検(今でいう高認)を受けて大学を目指すことにした
こんな仕事がしたいってビジョンはなかったけど、右ひじの事があるから頭脳労働で食べていくしかないと思ってた
こうして俺の新しい生活が始まった
その頃の俺にとっては勉強できることすら喜びだった、綾ちゃんとの文通も続いてた
お互い交通手段もないし、家から出歩くのもまだ多少キツい状態だから会いに行くなんて事はもちろん出来なかった
けど、文通のおかげでなんとなく綾ちゃんが近くにいるような気がしてた
そしてその年の11月下旬
綾ちゃんから返事が来なくなった
どうしたのかな、調子悪いのかなって思いつつも、ひたすら返事を待ってた
何となく電話はしづらい感じだったし、親に聞いてもらうのも恥ずかしいような気がしてた
もし何かで忙しいんだったら、と思うと自分から催促みたいにもう1通手紙を送るのも気が引けた
結局、返事が来たのは次の年のお正月の年賀状としてだった
何の変哲もない、よくわからないイラストの描かれた普通の年賀状
「忙しかったせいでしばらく返事できなくてごめんね!私は元気だよ。また手紙書くから待っててね。」
みたいな感じのメッセージが手書きで書いてあった
その2週間後、綾ちゃんが死んだ
っていうか今も入院してるんだけど、他の患者さんとコミュニケーションとれたら楽しいだろうなぁ・・・
点滴は上手な人がやればそこまで痛くない、下手な人だと死ぬほど痛い
>>82
きっと病棟に談話室とかあるだろ?
そこ行って本読んでるなり、患者っぽい人に話しかけるなりしてみたらいいと思う
なんだかんだで入院中って人と話したいし、きっと仲良くなれると思う
>>84
もうちょっとしたら俺の話終わるからそしたら披露してくれ
どういうルートで知ったのかは分からないが、多分入院してた時の知り合い経由だと思う
俺は父親と一緒に綾ちゃんの家に行った
家には、憔悴した表情の綾ちゃんの母親がいた
10月の末から抗がん剤由来の白血病で再入院していた事、あっという間に進行して、ほとんど手の打ちようがなかった事
心配するから、俺には知らせないで欲しいといわれた事、正月頃にはかなり状態が悪化してたが、数人にだけは年賀状をを書いてた事などを話してくれた
妙に現実感がなくて、けど目の前の仏壇には綾ちゃんの遺骨が入った箱みたいなものがあって
綾ちゃんは俺と同じくらい身長があったのに、骨になるとこんなに小さくなってしまうのか、なんて事をぼんやり考えてた
悲しいはずなのに泣けなかった
帰路に父親と夕食を食べたが、2人ともずっと無言だった
入院中、両親が来てる時はなんとなく照れくさくて綾ちゃんと一緒にいることは殆どなかった
けど、多分両親は俺と綾ちゃんの事を気づいてたと思う
その時はそんなこと考える余裕はなかったが、きっと父親は父親で色んな思いが渦巻いてたんだろう
結局そのまま会話することもなく家に帰って、俺はすぐ風呂に入って寝た
そして、夜中に目が覚めた
夢の中には元気な、肩まで髪の毛のある綾ちゃんがいた
現実に髪の伸びた綾ちゃんを見た事はなかったのに、我ながら変だなと思いながらなんとなく部屋の電気をつけた
まだ携帯持ってるやつのほうが珍しかったくらいの時期の話なんだ
俺の机の前の壁にはコルクボードがある
そこに貼ってある綾ちゃんからの年賀状が目に入った
白血病が進行して、再入院してるしんどい時期に書いた年賀状だったんだな、と思いながら年賀状を見た
そこには
「私は元気だよ。」
って書いてあった
それを見た瞬間、一気に涙が出てきた
お前が生きてるだけで親は幸せなんだよ
あの子は入院中からずっと俺を助けてくれてたのに、俺はあの子に何かしてあげられたのか
そんな事を考えて、しばらく涙が止まらなかった
俺はもう綾ちゃんに会えないんだって事がやっと本当に理解できた