コテはカタカナだったんですね、すっかり忘れてました。
簡単に経緯を説明します。
・4月から開始したプロジェクトに関連会社経由で参加した間男と飲み会で再会。
・4回目の飲み会で間男が車で来ていたので送ってもらった。
(『週末は自宅に戻るから』という理由だったそうですが、実は最初から妻を狙って
いたとの証言を間男本人から得ています)
・以後月に一度の飲み会を早く抜けて、間男とドライブするようになる。
・12月のプロジェクト打ちあげ後に初めて二人で飲みに行く。
・1月の飲み会後に初めてホテル。帰りの車中で偶然GPS検索されていることを知る。
・このとき妻は怖くなってもう止めようと言ったのだが、翌日私の留守中に間男から電話。
GPSトリックのやり方と、『同窓生に噂を流す』のようなことを言われ、あと半年間だけ
関係を続けることになる。
(何度も会おうとのメールは来ていたけど、『飲み会の時しか出られない』と言い訳し、
月に一度関係を持つ。私が目撃したのは最後の時だったようです)。
・しかしその後も関係を継続するよう強要するメールが、妻の社内メールに多いとき
には20通/日も来るようになり、とうとう自宅にいる時間帯に妻の携帯にCメールや
着信が来るようになった。
・怖くなって着信拒否したところ、社内メールに脅迫的な言辞が見られるようになり
時には無修正のわいせつ画像が添付されてくるようになった。
以上が7/22夜に妻から聞いたことすべてです。
その後妻に間男からのメールをすべてローカルに保存するように指示し、また娘に
危険が及ぶ可能性を考慮して、保育園へのお迎えを必ず二人で行うために、今後
何があっても定時退社するように指示してから興信所に弁護士の紹介を依頼しました。
すみません、流れを読まずに一気に書きます。
その後弁護士と話し合い次のような方針で行くことにしました。
間男には最初はメールのことには触れず、不倫の事実のみを追求する。
妻への社内メールには脅迫めいた文言が書かれていたのに対して携帯の
メールには一切そういう文言がなかったことが、おそらく妻が会社にばれる
のをおそれて、社内メールのことは一切言わないだろうと間男がたかを
くくっているのではないかと思われたからです。メールについて触れずに
いれば藪から蛇をつつき出すのを恐れて、素直に白状するかと思ったからです。
結局メールのことは一切伏せたまま8/2と8/9に間男と話し合い、謝罪と慰謝料支払い
(これも相場(?)+αと、間男の年収からすると低い額でした)への承諾を受け、不倫に
対する話はこれで終わりました。
その間会社には今回の事情を説明し、社内メールを証拠とすることに対しての了解を
得ました。そして、8/10に告訴状を提出し、同時に間男宛に内容証明を送付しました。
告訴理由は二人が別れた後に間男が送ってきたメールに書かれていた、脅迫的な
言辞です。詳しいことはかけませんが、妻と娘に対するものでした。
その後間男本人から電話。最初は告訴の取り下げを懇願していましたが、次第に
『会社にいられなくなりますよ?』と脅迫めいた事を言われました。
しかし『すでに会社にはすべて話しています』というと、無言で電話を切りました。
妻のほうはすべてを話し、間男から解放されたことでむしろほっとしているような
ところもありました。もちろん私に対しての謝罪もありましたし、二度とこんなことは
しないと言っていました。
間男と関係を持ったのは、
・ドライブに誘われて独身時代に戻ったような気がしていた。
・二人で飲みに行ったときにちょっとまずいかなと思ったけども、私が気がついて
いないようだったので、ちょっと安心しきっていた(実はこのときに妻の態度を不審に
思って、GPS検索設定とメールの転送設定をした次第です)。
・1月にホテルに行ったときも、『つい誘いに乗ってしまった』
のだそうです。ホテルを出た後は罪悪感でいっぱいだった上に、GPS検索画面を見て、
妻はパニック状態になったそうです。
私のほうは妻への怒りでいっぱいでした。正直親権を失っても良いから離婚したいと
いう気分にもなっていました。
そして、8/15のお盆の夜、妻と二人で話しているときに
『どうすれば許してくれますか』と聞かれ『生まれ変わってくれればいい』と返事しました。
そのとたん、妻は呆けたように口を開き、そして今までに無かった様子で泣き叫び、
リビングのテーブルに突っ伏しました。そんな妻を後にして、私は自室に帰りましたが、
妻の泣き声は私が床につくまでずっと続いていました。