6時半頃、おじさまが帰ってきて、シャワーに向かった。
A君も着替えてリビングにやってきた。
「ご飯、先生が作ったんですか?!もっと寝てて良かったのに…」
「こんなことしか出来ないからさ。A君、昨日のアロマありがとう。快眠だったよ」
「よかった、何の香りにしました?」
「グリーンティー。グリーンティーって香りがあるんだねぇ」
そうでしょ、とA君は嬉しそうに頷く。
「先生、あれ、あげます」
ダメだよ、といいかけるより先にA君が言う。
「あれ、少し前に先生の為に買ったんです」
お年玉で情けないですけどね、とA君が笑う横でそういえば、と思い出す。
あれ、新品だったような…
「先生に教えてもらい始めて、成績伸びたんです。父にも誉められました」
「あれだけ努力できるんだから私の力なんて微量すぎるよ」
「あれだけ努力してたのに今まで分からなかったんです、先生のお力でしょう?感謝して当然です!」
うっ、と息詰まる。
この子は人を丸め込む天才なんじゃないか。
その日は10時からバイトがあったので、朝食に箸をつけないうちに帰宅の準備をした。
おじさまにもお礼を言いたかったが、噂通りおじさまの朝風呂は長い。
仕方ないので置き手紙をして家を出た。
駅まで送ってくれたA君は、ずっと「如何に朝食が美味しかったか」を語ってくれたので、気恥ずかしかった。
電車に乗って、戴いたアロマの箱を見つめる。
そういえ、10万円頂いても、こんな小洒落たものを買う発想に至らなかった。というか、相変わらず余裕はない。
自分の世界に全く違う色が加わっていく。
それが斬新で嬉しかった。
出先なので暫しお待ちを(´;ω;`)
倒れて以来、自己嫌悪が脳内で犇めくようになった。
もう全て投げ出したい。
何もかもを捨てて旅でもできたら、と憧れを抱くようになった。
一週間も経たない内に、会長から書類が沢山送られてきた。
文章とは、小説だったり、エッセイだったり、論文だったりとジャンルはバラバラだった。
共通して、あまり文章量が多くないことに気付いたのは、それらを一週間余りで訳し終えた時だった。
やりきった後の達成感は私を元気付けた。
データを送ると、秘書の方から
「会長が非常に喜んでいらっしゃいました」と連絡がきた。
宗教のおばさんに言われた、
「あなたはなにも出来ない」
その言葉がずっと心に残っていたらしい。
私でも誰かの役に立ったじゃないか。
もう少し頑張ってみよう。
単純だけど心からそう思えた。
嬉しいです、ありがとう。
会長からの給料は相変わらず破格で、何だか済まない気持ちだった。
その後、お陰で免許を取ることが出来た。
それから少し経った頃。
樹木の葉は紅く変化し始めただろうか。
「先生、父が倒れたんです」
「こんな時間に非常識なのは承知しています、すみません」
深夜にA君からの連絡を受けた。
飛び上がって、翌朝の授業の準備、財布、携帯を持ってタクシーで病院に駆け付けた。
紹介がないと入れないという大きな総合病院のロビーに、A君は佇んでいた。
「意識はあるみたいです、今原因を調べているようで」
流石に心細かったのか、落ち着きがない。
「…医者にかかっているからもう大丈夫だよ、安心して待とう。一緒にいるから」
こんな言葉がやっとだった。
会長さんの奥様はご健在でした。
おじさまの奥様はずっと昔にお亡くなりになったそうです
保守ありがとうございます
「医者でも医者にかかるんですよね」
A君は当然か、というように項垂れる。
先述の通り彼には母親がいない。
唯一無二の肉親だ、と聞いていた。
深夜のロビーで二人、ただ待つほかなかった。
どれくらいの時間が経ったのか。
意識しない内におじさまの担当医とおぼしき男の人がA君を呼び出した。
戻ってきたA君を前にして、病状は聞けなかった。
「暫く入院だそうですが、ひと安心と言ったところです。呼び出してすみません」
あまりにも気丈に振る舞うから子供扱いをするのは気が引けた。
「いいよ、寧ろお世話になってきたから今度こそは私が手伝いたい。何か出来ないかな」
これならきっと彼の自尊心を傷付けないだろう。
「先生」
少し考えて彼は答えた。
「じゃあ家事を手伝ってくれませんか?」
保守ありがとうございます(´;ω;`)
「僕の家母がいないから少しでも手伝っていただけたら嬉しいです」
A君は続ける。
「ダメならいいんですが、父の様子も部活もあるので全部は…。バイトって形でいいから住み込みでお願いしたいんです」
「全然構わないよ、無償で」
大学もあらゆるバイト先もA君の家からの方が近かった。
今まで一時間半かけて実家から大学に通っていたから、好都合な提案だった。
何より、恩返しが出来る気がした。
ありがとうございます(`;ω;´)
A君、迷いました;
大学から帰宅して、着回せそうな服と簡単な荷物をキャリーバッグに詰めて出発した。
無意識でアロマも持っていた。
会長からの仕事も怠らないようにノートパソコンも持った。
入学時に「大学生なら要るでしょう」と唯一買って貰った宝物だ。
家に着くとA君は既に帰宅していた。
「これ、鍵です。先生の部屋は以前使って頂いたところでいいですか?必要そうなものは置いておきましたが他にあれば何でも仰って下さいね。あ、22時以降は用事があれば電話しますね。荷物運ぶの手伝います」
捲し立てたのは彼なりの気遣い。
くすりと笑った。
「これ、持ってきてくれたんですね」
ありがとうございます
焦らしたくないのですが文才なくこの様ですみません(;ω;`)
アロマは、私の中の違う世界の象徴だと思った。
今までの生活を変えられるような気分になる。
今までの生活が嫌いな訳ではない。
でも、周りの子達のように少しでいいから自分のために思いっきり時間を遣ってみたい。
そんな、誰にも言えない内に秘めたモヤモヤを形成したようなお守り。
もう少し頑張って、頑張った先でこの生活を必ず変えてみせる。
アロマを焚くとそういった不思議な気持ちになった。
A君とおじさまに与えて貰った勇気だ。
ここでの生活は手を抜くことなく尽くそう。
そう決意してゲストルームに入った。