おっさんには家族の話はしたことがなかった
そしてするつもりもなかった
今思えば大人相手に気にすることもなかったのかもしれないけど
元々家庭の事情によってぼっちへと導かれてきた俺には
この話題は何が何でも言いたくなかった
だからおっさんは俺に父が居ないなんて
全く知らなかったはずなんだけど
察してくれたのだろうか
ピチピチのポロシャツと丈の短いズボンに身を包んだおっさんは
それ以上何も言ってはこなかった
そしていざ遊園地へ
電車に揺られること小一時間
途中で乗り換えに失敗して責任のなすり付け合いをしながらも
どうにかこうにか遊園地に到着した
おっさん「大人1枚とガキ1枚」
俺「ガキなんて券売ってへんで」
おっさん「アホォ。子供って書いてガキって読むんじゃ」
俺「じゃあ大人って書いておっさんって読むんかー」
おっさん「うわっ、憎そいのー」
俺「すいませーん!おっさん1枚とガキ1枚くださーい!」
そして無事チケットを入手し中へ入ると
そこはもう俺にとっては夢の国だった
今みたいに凝ったアトラクションがあるわけでも
ましてやネズミがいるわけでもなかったけど
豪華な電飾に彩られた世界に俺は大興奮したのを覚えている
首が痛くなるくらい周りをぐるぐると見渡しながら歩いてると
まず目に入ってきたのはこれだった
俺「おっさん!おっさん!」
おっさん「何や便所か?早いのー」
俺「ちゃうわ!ほら、あれ乗ろうや!」
おっさん「んー?どれやねん」
俺「あの飛行機みたいなやつ」
おっさん「紐でブンブン回されてるやつか?」
俺「そうそう!」
おっさん「うわぁ…」
今でも正式名はわからないけど
デカい円柱の上ほうからワイヤーが吊してあって
その先に飛行機がくっついてて円柱が回転すると
遠心力的なもので飛行機が結構なスピードでブンブン回るやつ
おわかりいただけるだろうか?
おっさんは明らかに嫌そうな顔をした
おっさん「あれめっちゃ怖そうやん…」
俺「なんで?楽しそうやん!空飛んでるみたいやん!」
おっさん「お前なぁ、あの紐取れてほんまに飛んで行ったらどないすんねん」
俺「え…?あれ取れるん?」
おっさん「紐つけてんやったら紐取れることだってあるやろ」
俺「ほんならおっさん一回乗って確認してきてや」
おっさん「しばくぞボケ」
俺は嫌がるおっさんの手を引いて何とか乗ることに成功した
一人乗り用だったので乗ってる最中におっさんがどんな顔してたかはわからないけど
終わって飛行機が停止しても
しばらくおっさんは座ったまま口半開き状態だった
そんなおっさんを引きずり俺は止まることなく遊びまくった
メリーゴーランドはとにかく派手で本に出てくるお菓子の家みたいな印象だった
お化け屋敷はおっさんと手を繋ぎながら入った
めちゃくちゃ怖かったけど俺の手を引くおっさんの歩くスピードも
なかなか怖かった記憶がある
小さな線路を走る汽車にも乗ったし
水上をペダル漕ぎながら進むのも楽しかった
そうこうしてるうちに腹が減ったので
近くにあったベンチで弁当を食うことにした
おっさんは俺が弁当を持ってきたことを言うと
ちょっとびっくりしてた
おっさん「こんな時にまで作ってきたんか」
俺「こんな時やからやん。遠足に弁当持ってこん奴なんかおらんで」
おっさん「まぁせやけど…今日くらい外でなんか食わしたったのによ」
俺「ホームレスのくせにお金あるん?」
おっさん「アホ、ホームレスは家は無いけど金は意外と持ってたりするもんやねん」
俺「へーそうやったんや。じゃあおっさんの分も俺食うわ」
おっさん「いやいやいや!食いますやんか兄さん!」
おっさんは相変わらずのノリで弁当食ってたけど
俺はホームレスのおっさんに
遊園地に連れて来てくれる金があるとは思えなかった
チケットを買う時ですら子供ながらにヒヤヒヤしていたぐらいだ
だからおっさんの発言を聞いて俺は内心ホッとした
(そうか…ホームレスもお金持ってるんやなぁ…)
もちろんバイトで稼いでたのは言うまでもなかった
飯を食い終わってから広場に行ってヌイグルミが踊るショーを見たり
また飛行機に乗っておっさんが白目剥いたりして
とにかくこれでもかと言うくらい遊びまくった
そして時間的に次が最後だと言われると
俺は迷いなく観覧車を指差した
またお決まりなカンジだけど
来た当初にあれは最後に乗るものだとおっさんに言われていたのだ
理由は今でもよくわからん
俺はおっさんと向かい合わせに座ったが
観覧車が動き出すとあまりの高さにびびってしまい
外の風景を見れなくなってしまった
観覧車が頂上近くまで来る頃には俺もうおっさんの顔すら見れず、
ずっと自分の足元ばかり見ていた
飛行機やお化け屋敷なんか比じゃないくらい怖かった
するとおっさんは俺に言った
おっさん「何してんねん。めっちゃええ景色やのに早よ見んかい」
俺「おっさんおかしいんちゃうか…こんなん怖すぎるやろ」
おっさん「あははははっ!こんモン怖いことあるかい!」
爆笑しながらおっさんは丸くなった俺の背中をバシバシ叩いた
俺は飛行機での復讐だと涙目になった
それからもおっさんは景色を見ろとしつこかったので
俺は身を屈めたまま勇気を出してちょっとだけ外を見た
すると視界に広がったのは青一色だった
屈んだ俺の位置からだと周りの建物なんて一切見えなくて
観覧車の窓は全部綺麗な青一色だった
俺は予想外に怖くなかった景色に
恐る恐る背筋を伸ばしてみた
ら、怖かった
おっさん「お前何怖がってんねん。飛行機は乗れてたやん」
俺「飛行機はこんな高なかったわ…」
おっさん「変な奴やっちゃなぁ…まぁええわ。一回見てもうたら一緒や。ちゃんと見てみ」
俺はまだしつこいおっさんにうんざりしながらも
窓に付いてる手すりみたいなやつにガッチリ掴まって渋々周りを見ることにした
すると最初は怖かったものの慣れてきたのか
長く続いている線路
遠くに見える海
玩具のようなビル
豆粒のような人間
俺は次第に興奮していった
まだ完全に恐怖が消えないため手すりは握ったままだったけど
もう俺は外の世界に夢中になった
そんな俺におっさんは言った
おっさん「どうや、なかなかええ景色やろ」
俺「うん、何かちょっといけてきたかも」
おっさん「おう。みんなな?そんなモンやねん。井の中の蛙言うやろ?」
俺「何それ知らん」
おっさん「だからなぁ?今自分の身近にあるモンだけが全部ちゃうってことや」
おっさん「ちょっと見る角度変えただけで、いつものしょーもない町がこんなにええモンになんねん」
おっさん「最初は誰かて怖いけど、やってしまえば案外なんとかなる」
おっさん「周りがあかんのやったら視点を変えたらええんや。わかるか?」
俺「んー…ようわからん」
おっさん「やろうなぁ」
その時の俺はまだガキだったので
おっさんが何でいきなり校長先生みたいな話をしだしたのか全くわからなかったけど
「こんな話ちゃんと聞かんでええねん。何となくでええねん」
と言ったのは今でもハッキリ覚えてる
そんなこんなで観覧車を降りて辺りがちょうど暗くなり始めた頃、
俺達はいつもの町に帰ってきた
そして空き地まで戻ってくると
おっさんは渡すモンがあるからと
土管の中に潜ってしばらくしてから
ちょっと汚れたノートを俺に差し出した
おっさん「お前明日から学校やろ。ほれ、アサガオの観察日記や」
おっさんは律儀に観察を続けていたのだ
俺「あー!めっちゃ忘れてたわ!おっさんありがとう!」
おっさん「ちゃんと毎日書いたんやで。感謝せぇよー」
俺「お礼に明日おっさんの好きなモン作ったるわ!何がええ?」
おっさん「んー、明日はええわ。って言うか…今日で仕舞いや」
俺「え?何が…?」
何がって聞かなくても空気でわかったけど
俺はあえて言葉にした
いつもみたいに冗談だと返して欲しかったのだ
頭が真っ白になった
さっきまでの楽しさは夢のように消えて
変わりに嫌な汗がダラダラと流れてきた
おっさん「もう今日でさいならっちゅーこっちゃ」
俺「だ…だから何でなん…」
おっさん「おっさんなぁ、引っ越しするんやわ」
俺「ホームレスのくせに引っ越しとかあるわけないやん…」
おっさん「いやいやホームレスだって引っ越しぐらいするって」
俺「せーへんわ…」
おっさん「するって」
俺「………」
(俺のこと嫌いになったんか?)
喉まで出かかったけどやっぱり聞けなかった
またぼっちに逆戻り
そう思うと悔しくて悲しくて悔しくて悲しくて
物凄く寂しくなった
それからおっさんは
「もう8時や。早よ帰り」と
いつものように俺の背中を押した
ただいつも違ったのは
軽くなったリュックサックを背負い
汚れたノートを抱えて唇を噛む俺だけだった
その日はあまりにショックで眠れなかった
というのは嘘でリュックサックとノートをぶん投げたまま
俺は遠出の疲れで居間で死んだように爆睡した
翌朝目覚めると母が運んでくれたのか
きちんと布団で寝ていて観察ノートもしっかりランドセルに入れられていた
本当に爆睡だったため、道中に何度も昨日ことは夢じゃないのかと
グルグル考えてはなぜか学校に近付くにつれ現実に戻され
その度に俺はおっさんに裏切られたという思いでいっぱいになった
久し振りの教室に俺の居場所はやっぱり無かった
でもそんなのは慣れていたので俺は淡々と自分の席につき、ランドセルを置いたところで先生が来て
夏休みの宿題を提出することになった
周りのクラスメイトはあれを忘れただの
アイツがすごいだの賑やかに話していたが
俺は憂鬱なだけだった
なぜなら夏休みの宿題のほとんどをおっさんと一緒こなしたからだ
自由工作では器用なおっさんと一緒にゾウの貯金箱を作った
読書感想文は本を読むのがめんどくさかったので
おっさんが適当に作った冒険話を聞いてその感想を読んだかのように書いた
そしてアサガオの観察日記にいたっては
もう100%おっさん作だった
書き忘れたけど結局絵日記は持って行かなかった
爆睡して遊園地のこと書けなかったし
爆睡しなくても多分書けなかったと思う
みんなが各々提出する中、
俺も混ざって持ってきたものを先生に渡した
全員が渡し終わると先生は徐に数人の日記や工作に目を通し
面白おかしくコメントしたり突っ込んだりしだした
けど俺はまったく笑えなかった
面白さならおっさんのほうが数倍上だと思った
すると不意に自分の名前が呼ばれた
端から先生の話など聞いてなかったので
呼ばれると思わずビクッと体を揺らしてしまい恥ずかしかった
先生「>>1の観察日記はすごいなぁ。よう描けてるわ」
俺「はぁ…」
先生「けどちょっと絵も字も上手過ぎるような気もせんでもないけどなぁ」
俺「はぁ…」
先生はニヤニヤと俺を見ながらページをめくっていく
ただでさえ注目されるのは嫌なのにクラスメイトは黙って俺のノートを見る先生の様子を伺っている
俺はあまりの居たたまれなさに俯いてしまった
早く終われ、早く終わってくれ
おっさんにやってもらったことなんか後でならバレてもいいから
とにかく早く終わってくれ
そう願っていると先生が突然笑い出した
先生「知らんかったなぁ。>>1は食べるんがそんなに好きなんか?」
俺「はぁ…?」
あまりに意味不明な言葉に俺は俯いていた顔を上げた
すると先生は俺の方へ近付いてきて机にノートを広げ、
日記の文章を書く欄を指差した
そこには、
8月○日 晴れ
アサガオに水をやった。
飯うまかった。
と書かれていた。
その次の日も次の日も、短いアサガオの文章後には必ず
「飯うまかった。」と書いてあった
それは昨日である31日も書いてあった。
遊園地に行ってたからアサガオの絵と文章はなかったけど、
ただ一言「飯うまかった」と書いてあった
先生がそれを読み上げるとクラスメイトはみんな爆笑していた
コイツどれだけ飯が好きなんだとそれはもうバカ受けだった
みんながみんな笑うモンだから俺もつられて笑ってしまった
泣きながら笑ってしまった
学校からの帰り道、俺は真っ直ぐに空き地へ向かった
いつもの穴を潜りいつもの土管を覗いたけど
やっぱりおっさんは居なかった
いつかのように汚い家財道具も一式無くなっていた
ただ唯一残ってたのは綺麗に畳まれた父の服と
夏が終わり枯れ始めたアサガオだけだった
おわり