―― 第三部 事件 ――
そんなある日、後ろの席の山本コージが担任と、何やら話を
しているのを見かけました。
そしてボクは担任から呼ばれると思いがけない提案を受ける
ことになります。
「山本コージが、目が悪い上に、お前が大きくて前が見えないから席を
替わって欲しいと言ってるんだがどうだ?」
ボクは席なんて最前列の教卓前、いわゆる“残念な子”席以外ならどこでも
いいと思ってたんで、即答で「いいですよ」と答えてしまってから気づいた。
「げっ、ミドリの前になっちまうぞ!」
彼女と話さなくなってから、もうすぐ1年にもなりそうでした。
以前のよう仲良くなくても、せめて普通に挨拶くらいはできるようになれば
いいかなと考えて、思い切って声をかけてみました。
「よっ、また前に座らせてもらうぞ」
どうせ反応がないだろうと思って、非常に軽く言ったんですよ。
ところが、想像以上の反応がありましてね。いや、別に大歓迎で感激してくれた
とかじゃないですよ。
「どーぞ」
彼女は、かなり驚いた様子でした。たぶん、ボクが何か言うとは思って
なかったんでしょう。びくっとしてましたから。
そして、視線を90度横に向けたまま、非常に無愛想ながらもハッキリと
言ったのが、さっきの言葉でした。
声を聞いたのが、ほぼ1年ぶりだったので懐かしくてホッとしたのを覚えてます。
それからボクは毎朝席に着く時は、彼女に「おはよう」だけは言うことにしました。
そして、彼女も「おはよう」だけは返してくれることになります。
ボクは、もうそれだけで十分満足だったし、実際にそれ以上はない日が続いたわけです。
そして事件です。
去年は確かソフトボールだったと思いますが、今年はサッカーらしいです。
考えるんですが、残念ながらサッカー部員は各クラス2名までの登録。
残りは、審判をさせられるらしいです。なんという不幸。
出場したいでしょう。せっかくのアピールの場ですからね(笑)
ここで頑張れば、ひょっとすると楽しい青春の夏休みとかに繋がるかもしれません。
昔は女子高生だったママ連の“茶色い声援”を浴びていたんですから。
やっぱりここは、現役女子高生の“黄色い声援”の中でプレーしたいじゃないですか。
審判確定ー! もう、こうなれば第4審として、ずーっと椅子に座っててやる。
絶対に動かんぞ。
明日は仕事だけど…限界まで付き合うぜ!
>>267氏、271氏、274氏
ありがとうございます。頑張ります。
投下します。
――
という固い決意も虚しく、当日は主審として笛を吹くボクでした……
腹いせに、サッカー部員に対してはファウルもオフサイドも超辛口で判定します。
こんなイベントでもカードを出す気満々ですからね。
胸のあたりを触る審判に呼ばれると反射的にイヤ~な気分になるんですよ。
ざまーみろ。ニヤニヤと、嫌がらせモード全開でしたが……
パキーンッ!
その時です。
何か分からない硬いものが、ボクの右顎辺りを直撃します。
ノーガードで強烈な左フックを食らったのと同じ効果で、ボクは一瞬で
意識が飛んでしまいました……
楽しんでいた連中が打ち放った軟球でした。
ライナー性の打球でしたからね、もしこれが硬球なら、顎が砕けてしばらくは
流動食だったでしょう。
打ちどころが悪ければ、戒名をもらっていたかもしれません。
幸運なことに軟球でしたので、脳震盪だけで済んだようです。
日常から、部活がひしめきあっているグランドなので、サッカーをやってる
横でバットを振り回す奴がいても、おかしくない環境なんですよ。
でもまだボーっとしてるし目を開けると、めまいで気分が悪くなりそうだったし
おまけに顎がジンジンと痺れて、しっかり話すどころではなかったです。
だから救急隊員に名前を呼ばれた時は、なんとか返事をしようと呻くのが
精一杯でした。それでも、意識があるアピールには、十分だったようで隊員は
「怪我は大丈夫ですよー」
「今から病院に向かいますからねー」
落ち着いたというか、どこか呑気な口調で呼びかけ続けてくれました。
そのうち意識がハッキリとしてきて、視覚以外はしっかりと働くようになってきました。
隊員が担任か誰かに状況を聞いている様子
無線で本部か病院と連絡している様子
そして……
ボクの手を強く握り締めたままの誰かが、震えて泣いている様子――
柔らかかったですからね。
もし、男がボクの手を握りながら震えて泣いていたら、きっとトラウマに
なっていたと思います。想像しただけで寒いわ。
ボクはハッキリしてくる頭で、その手の主を考えます……誰なんだ?
恐る恐る目を開けると……
そこにいたのはミドリでした。
グランドに崩れ落ちるボクに、最初に駆け寄ってきたのも彼女だと聞きました。
顔面蒼白でボクの名を呼び続け、誰にも触らせなかったとのこと。
クラスでは、その狼狽ぶりからボクが死んだと思った奴もいたらしいです。
そして、救急車には担任を押しのけて自分が乗り込んだようです。
その代わりに顎の痛みが襲ってきて、非常に苦しかったことを覚えてます。
ただ、ミドリが同乗してくれてるのは嬉しかったですね。
>>288氏
でも、痛かったですよ。
――
呻くボクの右手をしっかりと握って、なぜか自分が泣きながら
「大丈夫だから、大丈夫だから」
と、ずっと励ましてくれましたし。