まさか相手を間違ったんじゃないのか? とか一瞬考えたんですが
次の言葉で、そうじゃないことが分かります。
「山下君! 誤魔化さないで! あの時、あなたは私に告白したじゃない!」
「え”?!」
この人、何を言い始めるんだ!?
これから先輩とサシで話して、この件をクロージングに持っていこうと
考えていたのに、何と言う無謀かつ玉砕の特攻発言……台無しじゃん……
裸火を持ってガソリンタンクに突っ込んでくるようなものですよ。
しかし、彼女の勢いは留まるところを知りません。
こっちまで飛び火どころか、もう火達磨じゃないですか。
「そして私たちは付き合うことになったじゃない!」
こんな奴(先輩を指差す)に気を使うことはないのよ!」
いやいやいや、ナイナイナイ、絶対ナイし~
そんな夫婦喧嘩みたいなことは、二人だけの時に違う場所でやってくれー
と、あまりにトンデモな展開に、苦笑いさえ漏れてしまいそうだったんですが
先輩の次の言葉で再びボクは奈落の底へ落とされるわけです。
「山下……そういうことだったのか」
(え? ひょっとして信じてる。あんたバカですか?)
あるわけないとか考えないんですかね。この人たちは。
とりあえず、ここは落ち着いてもらって……話せば分かるハズ……
「先輩、違いま――」
と言いかけたボクのでしたが、その言葉を最後まで言うことができなかったんです。
なぜなら、マネージャーさんがボクの口を塞いでしまったから……
唇で――
>>90氏
まったく、トンデモです。
――
さて、どうでもいい話ですが、これがボクのファーストキスってやつです。
ロマンチックでもなんでもなく、いきなり修羅場でソレですからね。
非常に残念です。悔やまれます。トラウマになりそうです。
その光景を見た先輩は、ボクの肩をぐっと掴むと「大切にしてやれ」と言って
ボックスを後にしました。 って、オイ待てー
表ではメンバーがザワついています。「やっぱり、そーだったんだ!」とか
「修羅場やね~」とかワイドショーを観てるおばちゃんみたいな会話が
聞こえてきます。 おまえらも傍観せずに、先輩を止めろってば。
「誤解でーす」「待ってくださーい」と動こうと思うのですが
マネージャーさんが、ボクに絡みついていて身動きできません。
一瞬、殴ってでも引き剥がそうかと思ったんですが、マネージャーさんの
悲しそうな目に断念した次第です。
そして、先輩が十分遠くに行ってしまった頃、マネージャーさんは
その場に崩れ落ちるわけです……
ボクは(どーすんだ? コレ?)と思いながらも、どうしていいか分からず
とりあえずマネージャーさんの気持ちが落ち着くまでは、傍にいた方がいいか
と思い、黙って横に座ってました。
自○とか放火とかされたらヤバイとか思ったんですよ。マジで。
そのうち泣き疲れたのか、ボクにもたれかかり腕にしがみついた状態で眠って
しまいました。
この時のボクは困ってました。正直、困ってました。本当に困ってました。
何度でも言いますよ。困ってましたと。
あんなことをしたことは明白です。それが問題の解決に結びつくのかどうか
知りませんがね。とりあえず彼女の選んだ手段はそれだったということです。
対するボクの状況は外堀を埋められて、自分の気持ちとは違う既成事実で
追い込まれている感じ。
マネージャーさんと公園で密会し
元カレの先輩と直接対決を経て
キスでめでたくカップル誕生……
鬱だし……
このままだと、明日には『新カップル誕生!』と祝福されてしまうでしょう。
違いないんですよ。でも、なんというか……
昨日まで先輩と、あんなことや、こんなことをしてたんでしょ……
ムリですわ~それ。
そんなホヤホヤで相手の体温が残っているような女性とか、絶対ムリですって。
非常に失礼を承知で言います。
全力でお断りですわ。
さて、30分くらい経った頃、やっと目を覚ましたマネージャーさんは
「あっ、山下君。ずっとこうしてくれてたの?」
なんと呑気な声でのお目覚めです。
ボクは(あなたのせいで修羅場じゃないですか。これからどーするんですか)
と言いたい気持ちをぐっと抑えて
「あっ、はい……動けなかったですから……」
「ごめんね……もう遅いから帰ろっか」
美しいお顔で力なく微笑むわけです。
えーっと、ボクはさっきの勢いが急速に萎えていくのを感じます。
実は、こういう表情に弱いんですよね。
ボクを11人集めて、こんな表情のお面をつけた女子チームと対戦したら
きっとボロ負けするに違いないでしょうね。0-15くらいで。
そんなわけで、彼女を放っておけない気分になってしまい、すっかり
暗くなった道を二人で帰ります。
どうやら自分の家とは方向が違うようなんですが、なんとなく家まで
送った方がいいかと思ってマネージャーさんの足が向かう方向に歩きます。
そのうち家に着いたらしく、玄関の前で足が止まりました。
これでボクの自分の仕事は、全て終わったと思いましたよ。
とっとと帰って明日以降の対策を練らないと、とか思いました。
「じゃ、ボクはこれで帰ります」
そして自転車に跨ろうとした、その時。
「お腹空かない? 私、泣いたらお腹が空いちゃって。
何か食べていかない?」
妙なタイミングで妙な誘いです。普通なら断りますよね。
あんな目に遭った後ですから、家なんかに入ったら次はどうなるか
分かったもんじゃないですし。
ところが、ちょっと憂いを含んだ笑みが、なんとも妖艶で美しかった
のでボクは脊髄反射で「はい」と答えてしまったんですよ。
言ってしまってから気づいたんですがこの時、無意識でしたが
1000分の1秒単位で不安と期待を天秤にかけてたわけです。
ファーストキスを奪っていただいたのですから、展開によっては
筆おろ……なんとも男の悲しい性です。いや、男子高校生です。
というわけで、ボクはマネージャーさん宅のダイニングテーブルに
座ってました。彼女はキッチンで手際よく何かを炒めているようです。
そのうち、テーブルには二人分の焼きソバが並びます。なぜに焼きソバ?
「ごめんね。こんなものしかできなかったけど」
「いや、すいません。わざわざ作っていただいて」
それを食べ終わると、彼女はいかにもお揃いの片割れっぽいマグカップを
手にポツリポツリと先輩との話を始めました。
別に聞いてないんですけど……
合宿の夜に告白された時のこと……
学園祭の模擬店のこと……
二人で行った旅行のこと……
(えー、その話は先輩から何度も聞きました。深夜編だけですが)
いっぱいに浮かべるわけですよ。
なんか可憐で弱々しくって、思わずぎゅーっと抱きしめたくなる
衝動にかられるんですがそんなことをしたら、ボクがこの先
修羅場の中心人物に進化してしまいます。いや、もうほぼ中心か?
「今日はね、父も母も遅いの……」
思いがけない言葉に緊張が走ります。
おいおい、マジでこの先があるのか?
どうする? ボクよ?
この際、成り行きに任せてみるのも……
「そっちに行ってもいい?」
緊張して声が出せないボクの無言を肯定と、とったのか
隣というか、もう膝の上近くに座るわけですよ。
そして、ねろねろと絡んでくるんですわ。
完全に人格崩壊してます。絶対おかしいです。
(先輩からアッチの方は嫌いじゃないらしく激しいとは聞いてましたが……)
このままいけば、マジでボクの筆……
――
ボクの脳内では各部位の担当がホットラインで状況報告をし始めます。
まずは隊長の“精神”です。
「各部位、状況を報告せよ!」
左半身:
「左前腕部拘束されており制御不能! 続いて上腕部が敵の侵略を受けています!」
右半身:
「こちらは各部異常ありません! 回避行動可能です! 指示を!」
胸部:
「呼吸が苦しいですっ! 心拍数も増大してますっ! 警戒レベルです!」
頭部:
「視界良好、聴覚問題ありません! 上下唇および声帯正常作動します!
指示を! あっ嗅覚がやられました!」
(そういえばマネージャーさんの髪からいい匂いがしてます)
頭脳:
「……」
精神隊長:
「精神から頭脳へ、応答せよ!」
頭脳:
「●△※÷……」
精神隊長:
「ダメだ……完全に混乱してる。コイツが作動しないと行動の指示が出せん……」
その時、ボクの精神は緊張でカチカチになってる担当者を発見する……下半身だ。
直立不動で空を見上げている。
精神隊長:
「今日はお前の出番はないから安心しろ」
下半身は応答しない。
彼にとっては、これが初陣になるかもしれない状況とあり緊張と
我慢で大汗をかいている。相当気合いが入ってる様子だ……
各担当との数十秒のやりとりの後、精神が発動した緊急脱出プログラムにより
左右大腿部と下腿部に現在地点からの緊急離脱命令が下された。
もう既に左前腕部、上腕部から背部と腰部、そして胸部まで侵略されており
あと数秒判断が遅れたら、その場に押し倒されてフォール負けだったでしょう。
ボクは命からがらマネージャーさん宅から生還したのです。
自分としては頭脳が結局、何の役にも立たなかったことが情けない……
――
先輩とマネージャーさんは、本当に破局なのだろうか?
でも、今日のマネージャーさんを見てると、まだ先輩のことが諦めきれない様子。
先輩の本当の気持ちが見えないけど……
となると、最初から分かってて進めたボクはどうなる?
なんか面白がってたみたいで最低な奴になるんじゃねーの?
まあ、ミドリには明日の帰りにでも正直に話そう。
彼女なら分かってくれるさ、きっと。と考えたんだけど……甘かった。
翌日ミドリは学校に来なかった。その翌日も。