631:名無しさん@おーぷん : 2015/03/12(木)01:26:23 ID: ID:6qv
621です
勝手に一人語りしてすみません。
なんか、書き出したら止まらなくなってしまって。
(ここは勝手にぐちっていいところなんですよね? と言い訳してます)
私も勿論悪いです。
自分の親が毒で、親戚、近隣の人は皆恐ろしい、と洗脳されて育った自覚があったので、人付き合いに関しては
「とにかく自分が間違っている!」という鉄壁の自信があったんです。
「親戚付き合いをいやだと思うなんて、外道のすることだ!」
「私が外道と知れたら、もう社会で生きていけなくなる!」
「何があっても隠さなくては!!」
本当に、こう思っていたんですよね・・・。
二人目を産まなかった理由は、義両親の親戚づきあい強要ももちろんあったのですが、自分自身の母親としての自信のなさも強かったです。
自分に子供が愛せるだろうか、自分の親のように子供を食い荒らす化け物になるんじゃないだろうか。
そんな恐怖に身を震わせていましたから。
そして、他には夫の幼児性です。
陣痛が始まったときに嬉々として
「じゃあ、ゲーム買ってきていーい?」
と車でうきうきと出かけて行きました。
取り残されて急に不安になった私は助けを求めて病院に電話したのですが、
「こちらに何分くらいで来られます?」
と聞かれ返事に窮しました。
夫がいつ帰ってくるかわからないし、もしタクシー呼んだら何分かかるんだろう・・・と困惑したからです。
40分くらいです、と言ったら看護師びっくり。
「えっ? そんなにかかるの? お住まいはどこ? ご主人は? 今いないの?」
「あ、あの、今仕事で・・・・・・」
とごまかして結局まだ陣痛の間隔が長いから、入院してもいいけれどただ待つだけになりますよ、と言われ自宅待機することにしました。
帰ってきた夫にそのことを告げると
「あぁ、そう」
と背中を向けてゲームをセットして後はもう没頭。
私は陣痛の合間に掃除と洗濯と風呂掃除とトイレ掃除、夫のシャツのアイロンがけ、私が入院している間の夫の食事の作りおきをしました。
今思うと、どうしてこんなひどいことをされてなお罪悪感を持っていたのか不思議で仕方がありません。
勝手に一人語りしてすみません。
なんか、書き出したら止まらなくなってしまって。
(ここは勝手にぐちっていいところなんですよね? と言い訳してます)
私も勿論悪いです。
自分の親が毒で、親戚、近隣の人は皆恐ろしい、と洗脳されて育った自覚があったので、人付き合いに関しては
「とにかく自分が間違っている!」という鉄壁の自信があったんです。
「親戚付き合いをいやだと思うなんて、外道のすることだ!」
「私が外道と知れたら、もう社会で生きていけなくなる!」
「何があっても隠さなくては!!」
本当に、こう思っていたんですよね・・・。
二人目を産まなかった理由は、義両親の親戚づきあい強要ももちろんあったのですが、自分自身の母親としての自信のなさも強かったです。
自分に子供が愛せるだろうか、自分の親のように子供を食い荒らす化け物になるんじゃないだろうか。
そんな恐怖に身を震わせていましたから。
そして、他には夫の幼児性です。
陣痛が始まったときに嬉々として
「じゃあ、ゲーム買ってきていーい?」
と車でうきうきと出かけて行きました。
取り残されて急に不安になった私は助けを求めて病院に電話したのですが、
「こちらに何分くらいで来られます?」
と聞かれ返事に窮しました。
夫がいつ帰ってくるかわからないし、もしタクシー呼んだら何分かかるんだろう・・・と困惑したからです。
40分くらいです、と言ったら看護師びっくり。
「えっ? そんなにかかるの? お住まいはどこ? ご主人は? 今いないの?」
「あ、あの、今仕事で・・・・・・」
とごまかして結局まだ陣痛の間隔が長いから、入院してもいいけれどただ待つだけになりますよ、と言われ自宅待機することにしました。
帰ってきた夫にそのことを告げると
「あぁ、そう」
と背中を向けてゲームをセットして後はもう没頭。
私は陣痛の合間に掃除と洗濯と風呂掃除とトイレ掃除、夫のシャツのアイロンがけ、私が入院している間の夫の食事の作りおきをしました。
今思うと、どうしてこんなひどいことをされてなお罪悪感を持っていたのか不思議で仕方がありません。
632:名無しさん@おーぷん : 2015/03/12(木)01:31:08 ID: ID:gUP
いいよ愚痴って
愚痴ってスッキリしたらゆっくり考えてスパッと決断すればいい
愚痴ってスッキリしたらゆっくり考えてスパッと決断すればいい
633:名無しさん@おーぷん : 2015/03/12(木)01:40:26 ID: ID:H5M
で、いつその旦那捨てるの?
年食ってヨボヨボになるまで奴隷すんの?
いやその前に旦那親の介護要員にされるのか。
目を覚ましたんならさっさと行動に移さなきゃもう時間ないよ。
年食ってヨボヨボになるまで奴隷すんの?
いやその前に旦那親の介護要員にされるのか。
目を覚ましたんならさっさと行動に移さなきゃもう時間ないよ。
634:名無しさん@おーぷん : 2015/03/12(木)02:31:27 ID: ID:Agw
>>631
人間の体で一番栄養にならないものがストレス
ここで発散できるなら書きたいこと書いてスッキリしたらいい
そうしたら今度は前を向こう!
立ち止まって後ろを振り向いたり躊躇する時間も大切
でも前を向いて1歩1歩でもいいから進もう!
娘さんが成人してるならこれから先結婚するときが来たら
あなたの失敗談や経験、改善点とか教えてあげればいい
悪しき慣習はあなたが切ればいいんです
あなたと娘さんの幸せは人任せじゃなく自分で掴めばいいんだよ
人間の体で一番栄養にならないものがストレス
ここで発散できるなら書きたいこと書いてスッキリしたらいい
そうしたら今度は前を向こう!
立ち止まって後ろを振り向いたり躊躇する時間も大切
でも前を向いて1歩1歩でもいいから進もう!
娘さんが成人してるならこれから先結婚するときが来たら
あなたの失敗談や経験、改善点とか教えてあげればいい
悪しき慣習はあなたが切ればいいんです
あなたと娘さんの幸せは人任せじゃなく自分で掴めばいいんだよ
638:名無しさん@おーぷん : 2015/03/12(木)12:00:15 ID: ID:uka
621です。
レス下さった方、ありがとうございました。
書き込んでいるうちに少しずつ心の中が整理されてきました。
普段は忘れているこうした過去のことも、抑圧などが発生するとまざまざと思いだすんですね。
自分の辛さを誰にも理解してもらえなかった、自分が辛いと表現できなかった、自分も相手も大切にしつつ自分の要求を伝えて相手に助けを求めることができなかった。
それは自分の非であると思っています。
今だからこそ、そう思うのですが、渦中にある時は「辛い」と思うことが自分の咎だと信じていました。
そしてさかのぼれば自分の成育歴がそうさせているのだと思い至り親との確執が思い出されてなお辛くなる。
本当にばかですね。
自分が昨夜書いた文章を読んで、自分でいらいらしました。
どうして自己主張しないのか、流されて文句だけ言って、私はこんなに我慢してる、と被害者ぶって人のせいにして。
ただのバカです。
でも今そう思えることは、当時の自分から進歩できたということなのかもしれない、とせめてもの慰めにするつもりです。
そうした親戚べったりの時期を過ごし、私は保育園に子供を預けて仕事を始めました。
20年前は今よりも幼児を持つ母親の就業に理解が乏しく、環境は厳しいものでした。
子供の病気で欠勤が多く居づらくなった結果転職を繰り返しながら子供が就学する頃にはやっと私も落ち着くことができました。
仕事を持つ理由は経済的なものを元より、自分に自信を取り戻すためでした。
結婚前は一人暮らしで世帯主。自分の食い扶持は自分で稼ぐのが当然。
それが誇りでもあり、自信の基であったのだと思います。
技術や資格を身に着けるための学費を貯めようと、昼は正社員で販売業、夜は飲食店でアルバイト。
朝9時から夜1時まで立ち通しで働き、2年で200万ほど貯金できました。
その頃は毎日疲労困憊してはいたけれど、明るく快活で前向きでいられました。
それが、妊娠で結婚、退職して職を失い収入をなくすと見る見るうちに自信を喪失して、毒親の家にいた子供時代のように
「生きていてごめんなさい」
「産まれてきてすみません」
「役立たずですが、できるだけのことをしますからどうか許してください」
に戻ってしまったんです。
親は「産まれてこなきゃよかったのになぁ・・・」
としみじみと私を眺めて言っていたので。
また後で続きを書かせてください。
レス下さった方、ありがとうございました。
書き込んでいるうちに少しずつ心の中が整理されてきました。
普段は忘れているこうした過去のことも、抑圧などが発生するとまざまざと思いだすんですね。
自分の辛さを誰にも理解してもらえなかった、自分が辛いと表現できなかった、自分も相手も大切にしつつ自分の要求を伝えて相手に助けを求めることができなかった。
それは自分の非であると思っています。
今だからこそ、そう思うのですが、渦中にある時は「辛い」と思うことが自分の咎だと信じていました。
そしてさかのぼれば自分の成育歴がそうさせているのだと思い至り親との確執が思い出されてなお辛くなる。
本当にばかですね。
自分が昨夜書いた文章を読んで、自分でいらいらしました。
どうして自己主張しないのか、流されて文句だけ言って、私はこんなに我慢してる、と被害者ぶって人のせいにして。
ただのバカです。
でも今そう思えることは、当時の自分から進歩できたということなのかもしれない、とせめてもの慰めにするつもりです。
そうした親戚べったりの時期を過ごし、私は保育園に子供を預けて仕事を始めました。
20年前は今よりも幼児を持つ母親の就業に理解が乏しく、環境は厳しいものでした。
子供の病気で欠勤が多く居づらくなった結果転職を繰り返しながら子供が就学する頃にはやっと私も落ち着くことができました。
仕事を持つ理由は経済的なものを元より、自分に自信を取り戻すためでした。
結婚前は一人暮らしで世帯主。自分の食い扶持は自分で稼ぐのが当然。
それが誇りでもあり、自信の基であったのだと思います。
技術や資格を身に着けるための学費を貯めようと、昼は正社員で販売業、夜は飲食店でアルバイト。
朝9時から夜1時まで立ち通しで働き、2年で200万ほど貯金できました。
その頃は毎日疲労困憊してはいたけれど、明るく快活で前向きでいられました。
それが、妊娠で結婚、退職して職を失い収入をなくすと見る見るうちに自信を喪失して、毒親の家にいた子供時代のように
「生きていてごめんなさい」
「産まれてきてすみません」
「役立たずですが、できるだけのことをしますからどうか許してください」
に戻ってしまったんです。
親は「産まれてこなきゃよかったのになぁ・・・」
としみじみと私を眺めて言っていたので。
また後で続きを書かせてください。
639:名無しさん@おーぷん : 2015/03/12(木)14:58:45 ID: ID:gUP
いいよー
つかもう書ききったあとは貴方が旦那と義両親を
断捨離する結末しか見えないw
普通に考えておかしいんだよ
40代の今時人生むしろこれからって人が
成人した孫のいるような歳の老人に
嫌味言われて言い返すこともできずに泣き寝入りしてるのなんて
中年と老人じゃ体力も気力も段違いのはずなのに
そういう根本的なものを忘れちゃってるんだな
つかもう書ききったあとは貴方が旦那と義両親を
断捨離する結末しか見えないw
普通に考えておかしいんだよ
40代の今時人生むしろこれからって人が
成人した孫のいるような歳の老人に
嫌味言われて言い返すこともできずに泣き寝入りしてるのなんて
中年と老人じゃ体力も気力も段違いのはずなのに
そういう根本的なものを忘れちゃってるんだな
640:名無しさん@おーぷん : 2015/03/12(木)15:14:46 ID: ID:uka
621です
親に自尊心を潰されて社会に出た私は、仕事をすることと収入を得ることで自尊心を育てていったのだと思います。
だから結婚出産でそれを失ったことで再び「生かしておく価値のないごくつぶし」に自己評価を落してしまったのだと。
パートとは言え、仕事を持つことで自尊心を回復していった私は夫に対する態度も変えることができて、それに押されて夫も変わって行きました。
子供が乳児の頃、体調が悪くて何か月も微熱と咳が止まらず何かと伏していた私を見るたびに舌打ちをして、
「俺のメシはっ!」と腕を引っ張って起こしていた夫も、やがて自分でラーメンを作って一人で食べるようになりました。
盆正月の義実家訪問の日数は「休みの日の前日から最終日の深夜まで」から
最後の一日を残して帰宅するように短縮。
三連休には必ず前日から泊まりで行っていた義実家も、今回は2泊のみ、今回は用事があるのでいけない、と断るようになり、
親戚の集まりも私の仕事を理由に何度かに一回は不参加にしました。
私が親戚づきあいから遠のいて行くとそれに歩調を合わせるかのように夫も参加しなくなって行きました。
義実家にも足を運ぶことも減り、一人で行って来たら、と勧めても断るように。
尤もそれは、自分一人で帰省したのでは「俺に服従する妻子」という勲章がなくメンツを保つことができないからでしょうけれど。
仕事を持ち義両親と距離を持って自分自身を取り戻して行くと、あれほど恐れていた「母になること」も自然に喜びに変わって行き、子供が何よりも愛しい存在になって行きました。
こうして一見平穏な家庭を築くことができたのです。
私が健康で仕事をしている限りは。
そう、私が誰の助けも必要としない限り平和な家庭を保てるのです。
ひとたび病気になったり仕事を失ったり、身動き取れなくなったりしたら、またあの地獄に戻らなければならない。
そう思い込んでいました。
仕事を盾に親戚の集まりを断れる。では仕事辞めたら?
しょせんはパートや派遣でしかない。産休や育休なんて存在しない。
退職したら子ども二人抱えてどうやって就職できよう。
また親戚べったりの中に閉じ込められて、家族で過ごすことも叶わず、家族で出かけるなんて夢のまた夢、
またQ州に行く?今度は子供二人連れて、親戚の家を泊り歩き、また愛想笑いに頬を引きつらせる?
自分が母になる困難を克服できたとしても、夫をどう制御できる?
はいはいする乳児を蹴って「しつけ」する父親の姿を、もう物心ついている上の子に見せて育てる?
そして上の子に一生残る心の傷をつける?
考えただけで背筋が凍りました。
でもそれを夫や義両親に言うことは、私にはできませんでした。
傷つけたくなかったからです。
いったん切ります(改行が多すぎるとのこと)
親に自尊心を潰されて社会に出た私は、仕事をすることと収入を得ることで自尊心を育てていったのだと思います。
だから結婚出産でそれを失ったことで再び「生かしておく価値のないごくつぶし」に自己評価を落してしまったのだと。
パートとは言え、仕事を持つことで自尊心を回復していった私は夫に対する態度も変えることができて、それに押されて夫も変わって行きました。
子供が乳児の頃、体調が悪くて何か月も微熱と咳が止まらず何かと伏していた私を見るたびに舌打ちをして、
「俺のメシはっ!」と腕を引っ張って起こしていた夫も、やがて自分でラーメンを作って一人で食べるようになりました。
盆正月の義実家訪問の日数は「休みの日の前日から最終日の深夜まで」から
最後の一日を残して帰宅するように短縮。
三連休には必ず前日から泊まりで行っていた義実家も、今回は2泊のみ、今回は用事があるのでいけない、と断るようになり、
親戚の集まりも私の仕事を理由に何度かに一回は不参加にしました。
私が親戚づきあいから遠のいて行くとそれに歩調を合わせるかのように夫も参加しなくなって行きました。
義実家にも足を運ぶことも減り、一人で行って来たら、と勧めても断るように。
尤もそれは、自分一人で帰省したのでは「俺に服従する妻子」という勲章がなくメンツを保つことができないからでしょうけれど。
仕事を持ち義両親と距離を持って自分自身を取り戻して行くと、あれほど恐れていた「母になること」も自然に喜びに変わって行き、子供が何よりも愛しい存在になって行きました。
こうして一見平穏な家庭を築くことができたのです。
私が健康で仕事をしている限りは。
そう、私が誰の助けも必要としない限り平和な家庭を保てるのです。
ひとたび病気になったり仕事を失ったり、身動き取れなくなったりしたら、またあの地獄に戻らなければならない。
そう思い込んでいました。
仕事を盾に親戚の集まりを断れる。では仕事辞めたら?
しょせんはパートや派遣でしかない。産休や育休なんて存在しない。
退職したら子ども二人抱えてどうやって就職できよう。
また親戚べったりの中に閉じ込められて、家族で過ごすことも叶わず、家族で出かけるなんて夢のまた夢、
またQ州に行く?今度は子供二人連れて、親戚の家を泊り歩き、また愛想笑いに頬を引きつらせる?
自分が母になる困難を克服できたとしても、夫をどう制御できる?
はいはいする乳児を蹴って「しつけ」する父親の姿を、もう物心ついている上の子に見せて育てる?
そして上の子に一生残る心の傷をつける?
考えただけで背筋が凍りました。
でもそれを夫や義両親に言うことは、私にはできませんでした。
傷つけたくなかったからです。
いったん切ります(改行が多すぎるとのこと)
641:名無しさん@おーぷん : 2015/03/12(木)15:14:58 ID: ID:uka
人を傷つけるのは自分も傷を負うし、何より夫も義両親も決して悪い人ではありません。
夫は私に一度しか暴力を振るったことがありませんし、その時本気で怒ったら妻に暴力を振るうことはいけないのだと理解したようでした。
義両親は結婚以来何かと気を使ってくれて、外出した時の食費などを出してくれたり、誕生日にはプレゼントまでくれました。
親に誕生日を祝ってもらったことが一度もなかったので、私は本当に驚きました。
結婚、出産に関しても義両親はお祝いとして現金をくれたり、品物を送ってくれたり。
私の両親は相手方親戚の前で、娘にあれをやる、これを持たせると気前の良い法螺を吹いては全て反故にして、両親の交通費や外食費も全て私が負担しました。
それに比べて、義両親は本当に私を思いやってくれたと思います。
子だくさんが幸せ、親せきと仲良く、という価値観の強要以外は。
だから、誰も傷つけず皆が幸せになるために、子供を持たないことを選んだのです。
失職もしなくて済むし、仕事を理由に義両親や親戚と距離を置ける。
もっとも、結婚した当時羽振りのよかった借金オジが金策に困り親戚中に金の無心をしたことで
親戚の仲が悪くなって集まりも減っていたようですが。
夫は私に一度しか暴力を振るったことがありませんし、その時本気で怒ったら妻に暴力を振るうことはいけないのだと理解したようでした。
義両親は結婚以来何かと気を使ってくれて、外出した時の食費などを出してくれたり、誕生日にはプレゼントまでくれました。
親に誕生日を祝ってもらったことが一度もなかったので、私は本当に驚きました。
結婚、出産に関しても義両親はお祝いとして現金をくれたり、品物を送ってくれたり。
私の両親は相手方親戚の前で、娘にあれをやる、これを持たせると気前の良い法螺を吹いては全て反故にして、両親の交通費や外食費も全て私が負担しました。
それに比べて、義両親は本当に私を思いやってくれたと思います。
子だくさんが幸せ、親せきと仲良く、という価値観の強要以外は。
だから、誰も傷つけず皆が幸せになるために、子供を持たないことを選んだのです。
失職もしなくて済むし、仕事を理由に義両親や親戚と距離を置ける。
もっとも、結婚した当時羽振りのよかった借金オジが金策に困り親戚中に金の無心をしたことで
親戚の仲が悪くなって集まりも減っていたようですが。