神様・・人生で最後のわがままを聞いてもらえるなら・・私に親孝行をさせてください

B!

242大人の名無しさん ID: ID:AsP6Lt7w

30板ですが、40になって数ヶ月経つ奴の戯言と思ってお許しを。
私は子供の頃から病弱で、中3の受験勉強が佳境になろうと言う時に所謂厚生省指定の
難病にかかり、間一髪で死を免れた。それから無事に志望していた高校を受験して合格。
去年なくなったばあちゃんはものすごく喜んでくれて、10万円もお祝いをくれた。
子供の頃から、私とは水と油の親父はお祝いどころか、私が病気で死にかけていたときも
友人と旅行に出かけ、見舞いにも来ない有様でした。
そして、それからどうにか無事に高校生活を送って卒業。
本当は大学に行く予定が、家の都合やら自分の馬鹿さ加減で進学をあきらめ、コンピューター
関連の仕事についた。
そして、就職から3年・・・
治ったはずの病気が再発。
あと数時間で命がないと言う所でかろうじて助かったものの1週間の絶食(水も飲めない)と
朝晩の点滴や検査の連続でかなり辛い入院スタート。
結局、3ヶ月入院して退院後職場復帰。
入院中には「またわけわからん病気しやがって」と親父の心無い一言に傷ついて病院の屋上から
飛び降りて死のうかと思った事も。
どこまで行っても親父とは分かり合えない、わかるつもりもない、おかんは話し合えと
何度も言うが、話し合うまでもなく親父は面倒事から逃げる。
そんなこんなで、結局私は退院後数ヶ月で家を出た。
→to be continued........

 

243242続き ID: ID:/7/nHNrF

家を出て私は生活費とやたら高い治療費の為にがむしゃらに働いた。
ドクターストップも振り切って、何かから逃れるかのように働いた。
所が、当時勤務していた会社が倒産寸前。社長の勧めで、派遣業界へ転向した。
まだ右も左もわからない業界だったが、OAのスキルなどがあったおかげで
転職してからも、さほど仕事には困らなかった。
正月とお盆にたまに実家に帰れば、「派遣も無職も同じやろ。下らん。お前はクズや。」
とまたもや親父の小言。おかんは私をかばいもせずに黙っている。
結局いたたまれなくなって、帰省しても日帰りで自宅へ帰っていた。それから数年。
特に大きな病気もせずに順調だったが、親との確執や仕事のストレスなどで
再び入院。糖尿病だった。
2週間の教育入院の後、半ば無理矢理退院して職場復帰したが以前のように
無理はきかなかった。残業もろくに出来ずに結局契約を途中で切られた。
当時、色んな事から借金があった私はすぐに次の仕事をさがしつつ、生活費を
どうやってまかなっていくのか、さらにストレスがかさむ日々を送っていた。
幸い、別の派遣会社から長期的な仕事が入り、生活にも借金返済にもさほど困らなく
なった頃、再び体調がすぐれなくなった。
→to be continued........

 

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過去に大きな病気を数回経験していた私は、この時ばかりはさすがにヤバイと
思って、自ら普段足を運ばないかかり付けの病院へ。
血液検査や色んな臨床検査の結果が出たのはそれから2日後(速く結果が知りたいと
わがままを言ったので;)だった。子供の頃から馴染みの医者はまず両親に連絡してきてもらえという。
また親父やおかんに小言を言われるのがいやだった私は・・・・
「そんなことはいいから私に病名を言ってください。親には絶対に言わないで。」
と食い下がり、医者は渋々病名を私に話し始めた。
「甲状腺機能亢進症・・・バセドウ病です。心臓にもかなり負担がかかっています。
いずれは心筋梗塞で命を落しますよ?入院してください。」
子供の頃から心臓はさほど強い方じゃなかった。水泳も出来ない、体育の授業もいつも
見学だった。だから「あぁ、ならしょうがないな」って程度にしか思わず、入院は拒否。
医者が止めるのも聞かずに、翌日から仕事を始めた。
それから1年経つか経たない頃、住所も電話番号も知らないはずのおかんがいきなり家に
やってきた。ぶっきらぼうに対応する私を、おかんは今にも泣きそうな顔をして見る。
「何しにきたん?また親父に下らん事言われて監視に来たんか?」
今思えばヒドイと思う言葉を投げかける私におかんは一言。
「なんで病気のこと黙ってたんや。死ぬかもしれへんのに、なんで黙ってたんや!」
話しを聞くと、私が席を蹴るように帰った検査の結果が出た日、医者はこっそり私の
母親にだけ連絡をとり(親父がいらんことを言うのは知っていたので)、私の病状を
伝えたという。説得して入院させるようにと。
「別に・・今すぐ死ぬわけでもないやろ。放っといてくれ。」
当然のように私は入院を拒否した。
→to be continued........

 

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ストレスが溜まっていたせいで、普段は人前では寡黙な私は淡々とおかんに話していた。
おかんは黙って話を聞いていた。「よう考えたら私は○×家にとって疫病神やな?ガキの頃から病気ばっかりして貧乏な家計を
圧迫して、大人になってからもまた病気で借金まで作って、自分で払いきれんかったら
あんたらに治療費せびった。私なんか生きててもロクなことない。いずれ家を食いつぶすで。
・・・・せやから、入院もせえへん。自然にまかせる。死んだら・・・・
それは私の寿命なんや。今まであんたらに苦労さしたバチがあったたんや。
まぁ・・・そう言う事やから、あのヤブ医者にはそう言うといて。これは自業自得や。」
意識はせずとも、日頃から病気の事で家族に負い目を感じていたせいもあったんだろう。
自分でも驚くほど冷静に恐ろしいことをおかんの前で言ってのけてた。
とにかくせっかくの休みやからと、おかんを早々に帰そうとした私に・・・
おかんは言う。
「あんたをそんな身体に生んだのは私のせいや。私らのせいや・・・あんたは何も
悪くない。悪くないんや・・・。子供も産まれへん、水着着て海で泳ぐ事も出来へん
普通の娘が出来る事が、あんたには出来へん・・可哀相や・・・バチやなんて言わん
といて・・・お願いやから・・」
→to be continued........

 

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消えいるような声でおかんがそこまで言ったとたん・・
私は家の玄関先(ワンルームマンションなので近所に結構話し声が聞える)であろうことか
いきなりボロボロ泣いてしまった。理由なんかわからない。
ただ泣いた。
かろうじて覚えているのは泣きながら「ごめん・・ごめんな」とおかんに 必死で謝っていたことか・・
なんでそんな言葉が出てきたのか、未だにわからない。
相変わらず借金もあるし、安月給でハードな仕事の日々を送っている。
先日、あまりにも医者がうるさいので一年と数ヶ月ぶりに病院へ検査にいった。「○×さんももう40かいな。今のままやったら、ご両親より長生き出来へんで?」
それでも入院を拒否。今入院などすれば実家にどれだけの負担をかけるのか。
1つの病気だけでなく、複数の病気の治療には膨大な費用がかかる。
今の病気は全て難病ではないので、公費ではまかなえない。自腹を切るしかない。
入院は必要で、残りの寿命を決められてしまった。それでも!!今の私にはそれを拒否
したい理由がある。
家に迷惑をかけたくないのも理由の1つだが、あともう1つ・・・
『神様・・人生で最後のわがままを聞いてもらえるなら・・私に親孝行をさせてください』
後もう少しでいいから時間を下さい
親を旅行に行かせてあげれたり、親の欲しいものを買ってあげれたり、それがけっして
親孝行にならなくても、少しでもいいから償いをさせて下さい
神様・・どうか・・お願いします
PS
嗚咽と全く関係ない書きこみ失礼しました

 

247ギコ ID: ID:59/8FyQA

>>246
読ませて頂いてました。治療をして下さい。お金は、親から工面して
貰っても、後で返せば済むと思います。自虐しないで下さい。
生命の方が尊いです。長生きすれば親孝行もたくさん出来ますヨ。
亡くなれば何も出来ません。治らない病気では無いと思います。
親より早く亡くなられたら、母親はあなたの事を親不孝者と嘆きます。

 

248大人の名無しさん ID: ID:xM+qiTjT

>>246
>>247に禿同。我が子が自分より長生きしてくれることが、一番の親孝行だよ。

 

249大人の名無しさん ID: ID:Qu4s9F7T

>>247
>親より早く亡くなられたら、母親はあなたの事を親不孝者と嘆きます。親不孝者と嘆きはしないだろうけど"何かしてやれることはなかったのか"
と自分を責め続けるのではと…。
242さん、親に頼る=迷惑をかけるのとは違うと思うよ。
元気になったら100倍にして返しませう。

 

257242 ID: ID:jL1pMfYV

>>247
ありがとうございます。
今はまだ気持ちの整理がついていませんが、気合を入れてがんばってみます。もう少し勇気を出してみます。
ちょっとブルーが入ったらまたここに来ていいですか?

 

引用元:嗚咽 その4

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