バイト先でRの顔を見るたびに、俺は奇妙な気持ちになった。
Rが悪くないのは嫌でも分かる。何も悪くは無い。
彼は真面目な人間だし、女に対してはとても一途な男だった。
嫉妬心の強さも、Y美への愛情の表れであるのは分かっていた。
罪悪感が無かったわけじゃない。
けれど、俺は思わずにはいられなかった。
(お前は何も知らないんだな。お前が好きなY美は、寂しささえ埋められれば、どんな男だっていいんだぜ。)
最低な人間だって分かってた。
でも何が正しいって言うんだろうか。
Rはその頃から、Y美が浮気をしているのではないかと疑いだすようになった。
当然のことだと思う。Y美が、俺を含めて複数人の男と関係を持ってるんじゃ
いつボロが出てもおかしくは無い。
もちろん俺にも疑いの眼差しは来た。
Rは直接的に何かをつかんだわけではないが、俺に
「できればY美との連絡はやめてほしい。」と伝えてきた。
俺は「わかった」とだけ返事をした。
しかし、男と女というものはどうしようもないもので、そんなやり取りがあったその日に密会なんかするわけだ。
ここまでくると自分でも虫唾が走る。
終わりにするべきだと分かっていた。
それをお互い見ないふりをして、ただ堕落していった。
Y美はRの嫉妬にウンザリしていたが、別れるとは口にしなかった。
「それは、あいつの嫉妬というデメリット以上に、それを補うメリットがあるから?」
ベッドの上でY美をからかうように言った。
Rの家はカナリの金持ちで、俺と同い年のクセにずいぶんいいマンションに一人で暮らしており、
車も持っていた。簡単に言えば、Rはボンボンだったのだ。
「これまでの事見ていれば分かるでしょ?」
Y美ははっきりとは口にしなかった。
「もしこのことがRにばれたらどうする?」
ある日俺は、ただ純粋に聞いてみた。
「さぁ。怒ると何するか分からないタイプだからね。とりあえず殴られるのは嫌。」
「確かにキレると危ないタイプではある。」
こうやってY美が、R以外の他の男と抱き合っている時にも、
Rは彼女を信じようと思っているんだろうか。
自分達二人の幸せを願っているのだろうか。
「まぁ、お前は『私が悪かった』なんていう女じゃねーよなぁ。
言ったとしても泣き落としに出るタイプだ。」
Y美は何も言わなかった。
「・・・人間、自分が一番かわいいんだよな。」
三月の初めに、事は起こった。
夜、Y美のケータイから電話がかかってきた。
俺が電話に出ると、かけてきたのはRだった。
「全部Y美から聞かせてもらった。」
驚きはしなかった。
いつかこうなる事は目に見えていたし、覚悟していなかったわけじゃない。
何で気づいたのかとか、そんな事はどうでも良かった。
きっかけはなんであれ、それを追求することに意味は無い。
「ふざけやがって。前、テメェにY美と関わるなって言っただろうが。」
俺は自分でもびっくりするぐらい冷静に答えた。
「ああ。たしかにな。それで?どうするっていうんだ?」
感情を逆なでしているのは分かってた。だが、俺もRに対して頭にきていた。
自分の彼女に愛想つかされたお前が被害者ぶるなよ。
彼女の性格を見極め切れなかったお前に責任がないとでも言うのかよ?
価値観が違っただけの話だろう?
電話越しでもRの怒りは伝わってきた。
「とりあえず今から駅のそばの公園に来い。逃げんなよ。」
一方的に電話は切れた。
Y美のケータイがRに使われているとなると、Y美が俺との事を何処までしゃべったのかを
確認するすべは無かった。
俺は半ば自棄になりながら公園へと向かった。
外は軽く雨が降っていて、酷く冷え込んでいた。
俺は、これから起こる事をどこか他人事のように思いながら、
明日の朝は晴れるだろうか、なんて考えていた。
公園にはR一人だった。
俺はゆっくりと近づき、Rと2メートルほどの距離で立ち止まった。
Rは静かに俺に聞いてきた。
「・・・・お前どういうつもりだ?自分のやった事わかってるんだろうな?」
いまさら俺の話を聞いたところで、何かが変るわけじゃないだろうよ?
俺はRの言葉にイライラして、もうRが殴りたいのなら好きにすれば良いと思った。
「だったらどうだって言うんだよ?
いまさらそんな分かりきった事聞くためにわざわざここまで呼び出したわけじゃねーだろ?」
次の瞬間、Rは俺に殴りかかってきた。
いったい何発殴られただろうか。
俺は途中から殴り返すのもやめて、泥だらけになりながらひたすら殴られ続けた。
すべてがどうでもよかった。
自分の血が、やけに俺を変な気分にさせた。
血だらけの俺の顔を容赦なく殴りながら、Rは叫んだ。
「人の女に手ぇ出しやがって!二度とY美に近づくんじゃねぇ!」
余りに痛みが過ぎると、むしろ殴られることよりも疲れることの方がつらかった。
全力で走った後のように苦しい。
身体に力を入れるのも面倒になり、俺は人形のように何もしなかった。
Rの言葉と殴られる音しか聞こえなかった。
Rの怒号を聞いているうちに、俺はある事に気がついた。
どうやらY美の話では、俺が半ば無理やりY美に近づいたという事になっているらしい。
それもそうだろう。Y美は自分から非を認めるタイプじゃない。
Y美は俺を切ったのだ。
俺はRが何を言っても答えないことにした。
「何故付き合っていると分かって近づいた」「こうなることがわからなかったのか」
この場では、どんな言葉よりも沈黙こそが肯定の意味を持った。
どうでもいいさ、全部俺のせいにして好きなだけ殴ればいい。
俺は殴られながらも、空しさからか、なぜか笑いがこみ上げてきた。
不思議な感情だった。
確かにY美からすれば俺を悪役にしたほうが都合がいい。
俺は殴られ続ける中で、この痛みがY美に向かなくて良かったなんて思っていた。
翌日、公園で目を覚ました俺は、すべて終わったんだと悟った。
大きく呼吸するたびに胸が痛くて、服は血だらけだった。
涙は出なかった。俺はベンチに座って、ぐしゃぐしゃになった煙草を吸いながら、笑った。
何も考えられなかった。何もしたくなかった。
その日、俺はバイトを無理を言って辞めた。
Rは人望の厚い人間だったし、悪役をかぶった俺にどうせ居場所は無かった。
周りの奴から連絡は一切なかった。
俺は唯一、Y美からの連絡だけを待った。
最後にもう一度話をしたかった。
俺を切り捨てたのだとしても。
「もしかしたら」
俺はそんな希望にすがっていた。
Y美の声が聞きたかった。
しかし、俺から連絡を取る事はしなかった。
Y美からの連絡が無いのなら、俺もする必要は無い。
その後、たまたまY美のアパートの横を通った時、ふと見ると
彼女の部屋は空き部屋になっていた。
結局、Y美から連絡が来る事は無いまま、俺はケイタイを解約した。
こんな小さな電話一つ無くしただけで、さまざまな人間関係が切れてしまうなんて、
人との繋がりなんてものは、なんて脆いんだろう。
新しい何かを見つける気もしなかった。
何もかもが、色あせて見えた。
数ヵ月後、駅前でY美とすれ違った。
俺は、横を通り過ぎる時にY美の声を聞くまで分からなかった。
あの声を忘れるわけが無かった。
Y美は、しばらく見ないうちにずいぶん雰囲気が変わっていた。
俺も髪が伸びて見た目も変ったせいか、Y美が俺に気付く事はなかった。
Y美の隣には男がいた。Rではなかった。
俺はY美の後姿が見えなくなるまで、そこで立ち尽くしていた。
END
面白くといっては不謹慎すぎるが、眠気も忘れて読ませてもらった。
おまえに幸あれ。
乙。
いずれこうなるとわかりきってた話だろう。