106:名も無き被検体774号+ : 2013/05/07(火) 20:56:48.97 ID: ID:VnWGrOgI0
そういうわけで、俺の自販機巡りの日々が始まった。
原付に乗って、田舎道をとことこ走る。
自販機を見かけるたびに何か買って、
ついでに安物の銀塩カメラで撮影する。
別に現像する気はないんだけど、何となくな。
そんな無益な行為を数日間繰り返した。
こんなくだらない趣味一つをとっても、
俺よりもっと本格的にやっている人が沢山いて、
その人たちには敵わないってことも知っている。
でも俺は一向に構わなかった。なんか生きてる感じがした。
俺のカブ110は幸いタンデム仕様だったので、
ミヤギを後ろに乗せて、色んなところをまわれた。
ようやくやりたいことが見つかって、天気にも恵まれて、
俺の生活は一気にのどかなものに変わった。
110:名も無き被検体774号+ : 2013/05/07(火) 21:07:57.50 ID: ID:VnWGrOgI0
隣では、ミヤギがスケッチブックに絵を描いていた。「仕事しなくていいのか?」と声をかけると、
ミヤギは手を止めて俺の方を向いて、
「今のあなた、悪いことしなさそうですから」と言った。「そうかねえ」と言うと、俺はミヤギのそばに行き、
彼女が線で画用紙を埋めていく様を眺めた。
なるほど、絵ってそうやって描くのか、と俺は感心していた。「でも、そんなに上手くないな」と俺がからかうと、
「だから練習するんです」とミヤギは得意気に言った。
「今まで書いた奴、見せてくれ」と頼むと、
彼女はスケッチブックを閉じて鞄に入れ、
「さあ、そろそろ次に行きましょう」と俺を急かした。
111:名も無き被検体774号+ : 2013/05/07(火) 21:11:56.75 ID: ID:VnWGrOgI0
そこにいつもの子の姿はなくて、代わりに、
見知らぬ男がかったるそうに座っていた。「……いつもの子は?」と俺はたずねた。「休日だよ」と男は答えた。「今日は、俺が代理だ」そうか、監視員にも休日とかあるんだな。
「へえ」と俺は言い、あらためて男の姿を眺めた。
露天商とかにいそうな感じの、うさんくさい男だった。
すげえ遠慮のない感じで存在感を撒き散らしてたな。
112:名も無き被検体774号+ : 2013/05/07(火) 21:16:17.23 ID: ID:VnWGrOgI0
男は露骨に俺をからかうような調子で言う。
「すげえすげえ。そんなやついるんだな」「すげえだろ? なり方を教えてやろうか?」
俺が淡々と返すと、男はちょっと驚いたような顔をした。「……へえ、お前、結構余裕あるみたいだな?」「いや、しっかり今ので傷ついてる。強がりさ」
男は俺の発言が気に入ったらしく、
「お前みたいな奴、嫌いじゃないよ」と笑った。
113:名も無き被検体774号+ : 2013/05/07(火) 21:18:28.43 ID: ID:VnWGrOgI0
俺はかなりリラックスできるようになった。男はそんな俺の様子を見て、言う。
「女の子が傍にいると落ち着かねえだろ?
なんかキリっとしたくなるよな。分かるぜ」「そうだな。あんたの傍は落ち着くよ。
あんたになら、どう思われようと構わないから」俺は『ピーナッツ』を読みながらそう答えた。
ミヤギの前では恥ずかしくて読む気になれなかった本。
そう、実を言うと、俺はスヌーピーが大好きなんだ。
「そうだろうな。……ああそうだ、ところでお前、
結局、寿命を売った金は何に使ったんだ?」
そう言うと、男は一人でくっくっと笑った。
114:名も無き被検体774号+ : 2013/05/07(火) 21:21:32.39 ID: ID:VnWGrOgI0
「一枚ずつ配って歩いた」と俺は答えた。
「一枚ずつ?」と男はいぶかしげに言った。
「ああ。一万円を三十枚、三十人に一枚ずつ。
本当は人にあげるつもりだったが、考えが変わった」
すると男はタガが外れたように笑い出したんだ。
それから、俺にこんな質問をしてきたんだよ。
「なあ、お前――まさか、本当に自分の寿命が
三十万だって言われて信じちゃったのか?」
115:名も無き被検体774号+ : 2013/05/07(火) 21:25:56.79 ID: ID:VnWGrOgI0
「どういうことだ?」と俺は男に聞いた。
「どういうも何も、言葉そのままの意味だ。
本当に自分の寿命、三十万だと思ったのか?」
「そりゃ……最初は、安すぎると思ったが」
男は床を叩いて笑う。俺は不愉快になってきた。
「そうかそうか。俺からはちょっと何も言えないが、
まあ、今度あの子に会ったら、直接聞いてみな。
『俺の寿命、本当に三十万だったのか?』ってな」
118:名も無き被検体774号+ : 2013/05/07(火) 21:28:34.12 ID: ID:VnWGrOgI0
俺は男に言われた通りのことを訊ねてみた。「もちろんですよ」と彼女は答えた。
「残念ですが、あなたの価値、そんなものなんですよ」「ふうん」と俺が小馬鹿にしたような態度で言うと、
ミヤギは俺が何かに気付いていることを察したらしく、
「代理の人に、何か言われたんですか?」と俺に聞いた。「俺はただ、もう一回確認してみろって言われただけさ」
「……そんなこと言っても、三十万は三十万ですよ」
あくまでしらを切り通すつもりらしいんだな。
130:名も無き被検体774号+ : 2013/05/07(火) 21:37:09.37 ID: ID:VnWGrOgI0
「最初は、あんたがネコババしてると思ったんだ」
ミヤギは、ちょっとだけ目を見開いてこちらを見た。
「俺の本来の値段は三千万とか三億なのに、
あんたがこっそり横領したんだと思ってた。
……でも、どうしても信じられなかったんだよな。
何か俺は根本的な勘違いをしてるんじゃないか、と思った。
それで一晩考え続けて、ふと気づいたんだ。
――そもそも俺は、前提から間違ってたんだな。
どうして寿命一年につき一万円という値段が、
最低買取価格だなんて信じてたんだろう?
どうして人の一生が本来数千万や数億で売れて
当たり前だなんて信じてたんだろう?
多分よけいな前知識がありすぎたんだな。
自分の勝手な常識に物事を当てはめ過ぎた。
俺はもっと、柔軟に考えるべきだったんだ」
俺は一呼吸おいて、それから言った。
「なあ、どうして見ず知らずの俺に、
あんたが三十万も出す気になったんだ?」
141:名も無き被検体774号+ : 2013/05/07(火) 21:41:52.62 ID: ID:VnWGrOgI0
「何を言ってるのかさっぱりわかりませんね」と言って、
いつものように部屋のすみに腰を下ろした。俺はミヤギが座っている位置の
対角線上にある部屋のすみに移動して、
彼女と同じように三角座りをした。ミヤギはそれを見て、ちょっとだけ微笑んだ。
「あんたがしらんぷりするなら、それでもいい。
でも一応言わせてもらうよ。ありがとう」俺がそう言うと、ミヤギは首をふった。
「いいんですよ。こんな仕事ずっと続けてたら、
どうせ借金を返し終わる前に死んじゃうんです。
仮に払い終えて自由の身になったとしても、
楽しい人生が約束されてるわけでもないし。
だったらまだ、そういうことに使った方がいいんです」
146:名も無き被検体774号+ : 2013/05/07(火) 21:44:51.06 ID: ID:VnWGrOgI0
「実際のとこ、俺の価値っていくらだったんだ?」
ミヤギは「……三十円です」と小声で言った。
「電話三分程度の価値か」と俺は笑った。
「悪かったな、あんたの三十万、あんな形で使っちまって」
「そうですよ。もっと自分のために使って欲しかったです」
怒ったような言い方をしつつも、ミヤギの声は優しげだった。
「……でも、気持ちはすごくよくわかるんですよ。
私があなたに三十万円与えたのも、似たような理由からですから。
さみしくて、かなしくて、むなしくて、自棄になったんですよ。
それで、極端な利他行為に走ったりしたんです」
150:名も無き被検体774号+ : 2013/05/07(火) 21:47:25.60 ID: ID:VnWGrOgI0
今のあなたは三千万とか三億の価値がある人間なんです」「変な慰めはよしてくれよ」と俺は苦笑いした。「本当ですよ」とミヤギは真顔で言う。「あんまり優しくされると、逆に惨めになるんだ。
あんたが優しいことは十分に知ってる。だから、もういい」
「うるさいですね、だまって慰められてくださいよ」
「……そんな風に言われたのは初めてだな」
「というか、これは慰めでも優しさでもないんです。
私が言いたいことを勝手に言ってるだけですよ」
157:名も無き被検体774号+ : 2013/05/07(火) 21:55:50.93 ID: ID:VnWGrOgI0
そう言うと、ミヤギはちょっと恥ずかしそうにうつむく。「私、あなたが話しかけてくれることが、嬉しかったんですよ。
人前でも構わずに話しかけてくれることが、すごく嬉しかったんです。私、ずっと透明人間だったから。無視されるのが、仕事だったから。
普通の店でお話しながら食事したり、一緒にショッピングしたり、
そんな些細なことが、私にとっては夢みたいでした。
場所も状況も選ばず、どんな時も一貫して私のことを
”いる”ものとして扱ってくれた人、あなたが初めてだったんですよ」「あんなことでよけりゃ、いつでもやってやるよ」
そう俺が茶化すと、ミヤギはいじらしい笑顔を浮かべた。
「そうでしょうね。だから、好きなんです。あなたのこと」
いなくなる人のこと、好きになっても、仕方ないんですけどね。
そう言って、彼女はさみしそうに笑った。