44:名も無き被検体774号+ : 2013/05/07(火) 14:40:27.54 ID: ID:uxwqRYpB0
俺は久しぶりに良い気分になってきた。
こういうとき、アルコールってのは偉大だな。部屋のすみでノートに何かを書いているミヤギに
俺は近づき、「一緒に飲まない?」と誘ってみた。「結構です。仕事中なので」
ミヤギはノートから顔も上げずに断った。「それ、何書いてんだ?」と俺は聞いた。
「行動観察記録です。あなたの」
「そうか。いま俺は、酔っ払ってるよ」
「そうでしょうね。そう見えます」
ミヤギはめんどくさそうにうなずいた。
実際めんくせーんだろうな、俺。
45:名も無き被検体774号+ : 2013/05/07(火) 14:44:30.05 ID: ID:uxwqRYpB0
悲劇の主人公になったような気がしてきた。で、落胆の反動っていうか、双極性っていうかさ。
急にポジティブになったんだよ。
得体のしれない活力が溢れてきたわけ。俺はミヤギに向かって、高らかに宣言した。
「俺は、この三十万円で、何かを変えてみせる」「はあ」とミヤギは興味なさそうに言った。
「たった三十万円だろうと、これは俺の命だ。
三百万や三億より価値のある三十万にしてやる」
俺としては、かなり格好良いことを言ったつもりだったね。
46:名も無き被検体774号+ : 2013/05/07(火) 14:47:44.89 ID: ID:uxwqRYpB0
でもミヤギはしらけっぱなしだった。「皆、同じことを言うんですよ」
「どういうことだ?」と俺は聞いた。
「死を前にした人は、皆、極端なことを言うようになるんです。
……でもですよ、クスノキさん。よーく考えてください」
ミヤギは感情のない目で俺を見すえて言った。
「三十年で何一つ成し遂げられないような人が、
たった三か月で何を変えられるっていうんですか?」
「……やってみなきゃわかんないさ」と俺は言い返したが、
実際、彼女の言ってることは、どこまでも正しいんだよな。
48:名も無き被検体774号+ : 2013/05/07(火) 14:50:44.18 ID: ID:uxwqRYpB0
「なあ、あんた、もしかして、この先三十年かけて
俺の人生に起こるはずだったこと、全部知ってんのか?」「大体は知ってますよ。もう意味のないことですけどね」「俺に取っちゃ相変わらず有意味だよ。教えてくれ」「そうですねえ」とミヤギは足を崩しながら言う。
「まず一つ言えるのは、あなたが売った三十年の中で、
あなたが誰かに好かれることはありません」
「それって悲しいことだよな」と俺は他人事のように言った。
49:名も無き被検体774号+ : 2013/05/07(火) 14:53:18.82 ID: ID:uxwqRYpB0
そんなあなたを周りの人間が好きになるはずもなく、
相互作用でどんどんあなたと他人の距離は開いて、
最終的に、あなたは世界に愛想を尽かされるんです」ミヤギはそこでちらっと俺の目を見た。「『それでも、いつかいいことがあるかもしれない』。
そんな言葉を胸にあなたは五十歳まで生き続けますが、
結局、何一つ得られないまま、一人で死んでいきます。
最後まで、『ここは俺の場所じゃない』って嘆きながら」「それって悲しいことだよな」と俺は機械的に繰り返した。
でも内心、やっぱりしっかり傷ついていた。
ただ、かなり納得できる話でもあったな。
50:名も無き被検体774号+ : 2013/05/07(火) 14:56:24.25 ID: ID:uxwqRYpB0
俺は四十歳でバイク事故を起こすらしい。
その事故で顔の半分を失い、歩けなくなるとか。かなり気のめいる話だったが、一方で、
それを経験する前に死ねることを考えると、
案外俺はラッキーなのかもしれないと思った。そうなんだよな、半ば期待する余地があるから、
五十年も無意味な人生を送ったりしちまうんだ。
完全に良いことが何もないって分かってれば、
逆に何の未練もなく逝けるってもんだ。
51:名も無き被検体774号+ : 2013/05/07(火) 14:58:44.63 ID: ID:uxwqRYpB0
番組ではスポーツ特集をやっているらしかった。
まずいと思ってチャンネルを変えようとした頃には、
弟の顔と名前がしっかり画面上に出ていた。俺は反射的にグラスを投げつけてたね。
テレビが倒れて床に落ち、グラスの破片が飛び散る。俺はふっと我に返り、ミヤギの方を見る。
彼女は明らかに警戒した様子で俺のことを見ている。「弟なんだよ」と俺は努めて明るく言ったんだが、
それが逆に本格的にイカれてる人っぽくて笑えたな。
「……弟さんのこと、あんまり好きじゃないんですね?」
ミヤギは軽蔑するような調子で言った。
「あんまりね」と俺はうなずいた。
隣の部屋から壁を殴る音がした。
52:名も無き被検体774号+ : 2013/05/07(火) 15:00:43.05 ID: ID:uxwqRYpB0
俺の酔いはまずい感じに醒めてきた。
このまま完全にアルコールが抜ければ、
最悪の精神状態になるのが目に見えてた。だから俺はある人に電話をかけたんだ。
思うに、これもまた最悪の選択だったな。
俺ってやつは、自分で自分の人生を
悪い方向に転がすことにかけては一流なんだ。電話の相手は、高校の頃の一番の友人だった。
数か月間一度も連絡をとってなかったのに、
「今から会えないか」なんて無茶なことを言う俺に、
友人は「今からそっちにいくよ」と快く応じてくれた。その時は、ちょっと救われた気でいたな。
まだ俺のことを気に掛けてくれている人がいるんだ、って思った。
53:名も無き被検体774号+ : 2013/05/07(火) 15:03:11.81 ID: ID:uxwqRYpB0
友人と会うにあたって、俺にはちょっとした下心があった。このミヤギって子、見てくれはそれなりなんだよ。
愛想はないけど、ふるまいがかわいいんだ。
その子が俺の後ろをずっとついてくるわけ。
そりゃ、それが監視員の仕事だからな。でさ、スーパーを歩いてる最中、俺は思ったんだよ。
周りには、俺たち恋人同士に見えてるんじゃないか、って。
むしろそれ以外の何に見えるって言うんだろうな?俺は、友人がそういった勘違いをしてくれることを期待してたんだ。
かわいい子を連れてることを自慢したかったのさ。
聞いてる方が恥ずかしくなるような動機だろ?
だが俺にとっては切実だったんだ。
54:名も無き被検体774号+ : 2013/05/07(火) 15:07:06.57 ID: ID:uxwqRYpB0
俺は満足して、早く友人が来ないかとうずうずしてたね。時計を見る。ちょっと着くのが早すぎたらしい。
友人が来るまでコーヒーでも飲んで待つことにした。ウェイトレスが来ると、俺は自分の注文を言った後、
ミヤギに向かって、「あんたはいいのか?」と聞いた。すると彼女は気まずそうな顔をした。
「……あの、最初に言いませんでしたっけ?」
「何を?」と俺は聞きかえした。
「私、あなた以外には見えてないんですよ。
声も聞こえてないし、触っても気付かないんです」
ミヤギはウェイトレスの脇腹を突っついた。たしかに、無反応だった。
55:名も無き被検体774号+ : 2013/05/07(火) 15:09:09.72 ID: ID:uxwqRYpB0
「うわあ……」って目で俺のことを見てたね。これはやっちまったな、と思った。
しばらく恥ずかしさで顔が真っ赤だった。こうなると、友人に女の子を自慢するという
ささやかな夢も叶わなくなったわけだ。
二重にも三重にも惨めだったな。
俺の場合、寿命や健康や時間なんかより、
惨めさを売った方がよっぽど金になりそうだ。もう帰っちまおうかとも思ったけど、
そこにちょうど友人が現れちまったんだ。
俺たちは大袈裟に再会の喜びを分かち合った。
半分ヤケだったな。もう正直どうでもよかったんだよ。