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249名も無き被検体774号+2013/05/08(水) 13:08:09.76 ID: ID:3etpqdGe0

そうそう、居酒屋で一人乾杯をしてたとき、
俺は隣の席の男に声を掛けられたんだ。
「あのときの人ですよね?」とか言われた。こっちは向こうに見覚えがなかったんだが、
そのいかにも音大生って感じの男は、どうやら、
あの日俺が一万円を配ったうちの一人らしかった。「最近、あなたの噂をよく聞きますよ。
まるで隣に恋人がいるかのようにふるまう、
一人で幸せそうにしている男の人の噂」「そんなやつがいるんですねえ」と俺は言い、
「聞いたことある?」とミヤギにふった。
ミヤギは「知りませんねー」と言って笑った。

男はそんな俺の様子を見て、苦笑いする。
「……あの、僕には何となく分かるんですよ。
あなたの一連の行動には、深いわけがあるんでしょう?
よかったら、僕に話してくれませんか?」

 

250名も無き被検体774号+2013/05/08(水) 13:12:42.82 ID: ID:3etpqdGe0

そんな風に聞いてくれた人は初めてだったな。
俺は彼の手を取って、深く礼を言った。それから話したんだよ、今までのこと。
貧乏だったこと。寿命を売ったこと。監視員のこと。
親のこと。友人のこと。タイムカプセルのこと。
未来のこと。幼馴染のこと。自販機のこと。
そして、ミヤギのこと。話の途中、俺はつい口を滑らせて、こんなことを言った。
「本人に直接言ったことはないんですけどね、俺、ミヤギのこと、
自分でもどうしたらいいのか分からないくらい、深く愛してるんですよ」隣にいた本人は酒をこぼしそうになってたな。
だってその通り、俺が直接ミヤギに対して
「愛してる」なんて言ったことは一度もなかったから。
ミヤギの反応が面白くて、俺は笑い転げたな。

 

251名も無き被検体774号+2013/05/08(水) 13:17:10.35 ID: ID:3etpqdGe0

「だからこそ、三十万を無駄に使ってしまったこと、
そして彼女を疑ってしまったことへの償いがしたいし、
何より、彼女の借金を少しでも減らしてやりたいんです。
あの子には、こんな危ないことを続けさせたくないんですよ」でも、俺が真面目になればなるほど、世界はしらけるんだ。男はうさんくさそうな顔をしてたね。
俺の話なんて、ちっとも信じちゃいなかったんだ。
多分こいつは、話でも聞いてやれば、
また俺が金をくれるとでも思ってたんだろうな。

 

252名も無き被検体774号+2013/05/08(水) 13:19:40.16 ID: ID:3etpqdGe0

男が去り、俺が帰り支度を始めると、
今度は後ろに座っていたおっさんに声を掛けられた。「すみません。盗み聞きする気はなかったんですけど、
さっきの話、つい最後まで聞かせてもらっちゃいました」
安物のスーツを着たおっさんは、頭をかきながらそう言った。「……で、率直に、どう思いました?」と俺は聞いた。「その子、きっと、そこにいるんでしょう?」
おっさんはミヤギのいるあたりを見ながら言った。

「おお、よく分かりますね。そうなんですよ、かわいいんです」
俺はそう言ってミヤギの頭を撫でた。
ミヤギはくすぐったそうに目をつむっていた。

「やっぱりそうですよね。……あの、申しわけないんせんが、
少々お二人の時間をいただいてもよろしいでしょうか?」

”お二人”の箇所を強調して、おっさんは言った。

 

253名も無き被検体774号+2013/05/08(水) 13:23:11.29 ID: ID:3etpqdGe0

おっさんは言う。
「自分語りになってしまいそうですから手短に済ませますが、
クスノキさん、私もあなたと似たような経験があります。ちょうど私があなたくらいの歳だった頃、三歳上の兄が、
まさにミヤギさんがあなたにそうしてくれたような方法で、
どん底にいた私のことを救ってくれたんです。やはり、私もあなたと同じように、決意しました。
どうにかして兄に恩返ししてやろう、ってね。
でも、それには時間が足りなかったんです。
兄は消えました。私は何もできないままでした」そこまで言うと、おっさんはグラスの残りを飲み干した。

「もし私が、当時の自分に何かアドバイスをするとしたら。
私は、”限界まで耳を澄ませ”と言うと思います。
そう、限界まで耳を澄ますんですよ。限界までね。
――そして、あなたはまだ間に合うところにいるんです。
ぎりぎりですけど、まだきっと間に合うはずなんです」

 

254名も無き被検体774号+2013/05/08(水) 13:28:43.75 ID: ID:3etpqdGe0

おっさんがいなくなった後も、俺はその言葉について考えた。

「限界まで耳を澄ます」。そりゃ、一体どういうことだろう?
本当にただ耳を澄ませってことなんだろうか?
あるいは、深い意味のある有名な格言なんだろうか?
それとも、特に意味はなく、口から出任せに言ったんだろうか?

アパートに着くと、俺はミヤギと一緒にベッドに潜った。
「あの男の人、いい人でしたね」と言って、ミヤギは眠った。
すうすう寝息を立てて、子供みたいに安らかな顔で。
それは何回見ても、慣れないし、飽きないんだ。

俺はミヤギを起こさないようにベッドから降り、
台所でコップ三杯の水を飲んだ後、
部屋のすみに落ちていたスケッチブックを手に取り、
ミヤギが起きていないのを確認すると、そっと開いた。

 

255名も無き被検体774号+2013/05/08(水) 13:32:11.46 ID: ID:3etpqdGe0

スケッチブックの中には、色んなものが描かれてたな。

俺の部屋にある電話や壊れたテレビや酒瓶、
レストランやカフェや駅やスーパーの風景、
あひるボートや遊園地や噴水や観覧車、
カブ、ポカリスエットの空き缶、スヌーピー。
で、俺の寝顔。

俺はスケッチブックを一枚めくり、
仕返しにミヤギの寝顔を描きはじめた。

しょっちゅうミヤギが絵を描くのを横で見ているうちに、
絵の描き方ってのが大体わかるようになってたんだな。
俺の頭からはすっかり色んなものが削ぎ落とされてたから、
「上手く描こう」とか「あの画家のアプローチを真似よう」とか、
そういうよけいなことは一切考えずに絵に集中できた。

完成した絵を見て、俺は満足感を覚えると同時に、
ほんのちょっぴりだけ、違和感を覚えた。

 

256名も無き被検体774号+2013/05/08(水) 13:37:20.07 ID: ID:3etpqdGe0

その違和感を見逃すのは、簡単だった。
ちょっと他のことに考えを移せば、
すぐにでも消えてしまうような、小さな違和感だった。
でも、俺の頭の中にはあの言葉があったんだ。
『限界まで、耳を澄ますんですよ』。俺は集中力を全開にした。
全神経を研ぎ澄まして、違和感の正体を探った。そしてふと、理解したんだ。
次の瞬間には、俺は何かに憑りつかれたかのように、
一心不乱にスケッチブックの上で鉛筆を動かしていた。それは一晩中続いた。

 

257名も無き被検体774号+2013/05/08(水) 13:41:42.21 ID: ID:3etpqdGe0

俺はミヤギを連れて花火を見に行った。
近所の小学校の校庭が会場の花火大会で、
それなりに手の込んだ打ち上げ花火が見れた。
屋台もたくさん出ていて、思ったより本格的だったな。俺がミヤギと手を繋いで歩いているのを見ると、
すれちがう子供たちが「クスノキさんだー」と楽しそうに笑った。
変人ってのは子供に人気があるんだよ。お好み焼きの屋台の列に並んでいると、
俺のことを噂で聞いたことがあるらしい
高校生くらいの男たちが近づいてきて、
「恋人さん、素敵っすね」とからかうように言った。
「いいだろ? 渡さないぞ」と言って俺はミヤギの肩を抱いた。なんか嬉しかったな。たとえ信じてないにせよ、
「ミヤギがそこにいる」っていう俺のたわごとを、
皆、楽しんでくれてるみたいだった。

会場からの帰り道も、俺たちはずっと手を繋いでた。
それが最後の日になると知っているのは、俺だけだった。

 

258名も無き被検体774号+2013/05/08(水) 13:46:56.19 ID: ID:3etpqdGe0

日曜になった。ミヤギは二週に一度の休日だった。
「よう、ひさしぶり」と代理の監視員が言った。本来なら、余命はあと三十三日だった。
明日になれば、ミヤギはまた俺のところにきてくれるはずだった。だが俺は、再び、例のビルへ向かったんだ。。
そう、俺がミヤギと初めて顔を合わせた場所だ。そこで俺は、残りの三十日分の寿命を売り払ったんだ。

査定結果をみて、監視員の男は驚いてたな。
「あんた、これが分かってて、ここに来たのか?」

「そうだよ」と俺は言った。「すげえだろ?」

査定を担当した三十台の女は、困惑した様子で俺に言った。
「……正直、おすすめしないわ。あなた、残りの三十三日間、
きちんとした画材やら何やらを用意して描き続けるだけで、
将来、美術の教科書にちらっと載ることになるのよ?」

 

259名も無き被検体774号+2013/05/08(水) 13:58:27.95 ID: ID:3etpqdGe0

『世界一通俗的な絵』。
俺の絵は、後にそう呼ばれ、一大議論を巻き起こしながらも、
最終的には絶大な評価を得ることになるはずだったらしい。
もっとも、三十日を売り払った今、それも夢の話だ。俺が描いたのは、五歳頃からずっと続けていたあの習慣、
寝る前にいつも頭に浮かべていた景色たちだった。
自分でも知らないうちに、俺はずっと積み重ねてきてたんだよ。
それを表現する方法を教えてくれたのは、他でもないミヤギだった。女によると、俺が失われた三十日で描くはずだった絵は、
『デ・キリコを極限まで甘ったるくしたような絵』だったらしい。
美術的史なことにはほとんど興味がなかったが、
一か月分の寿命を売っただけで大金が入ったことは嬉しかったな。
ミヤギの借金を返しきるには至らなかったが、それでも、
彼女はあと五年も働けば、晴れて自由の身になるらしかった。「三十年より価値のある三十日、か」と監視員の男が笑った。
でも、そういうもんだよな。

 

260名も無き被検体774号+2013/05/08(水) 14:04:21.45 ID: ID:3etpqdGe0

残り、三日。最初の朝だった。
ここからは、監視員の目は一切ない。純粋に俺だけの時間だ。ミヤギは今頃、どっかの誰かを監視してるんだろうか。
そいつがヤケになってミヤギを襲ったりしないことを、俺は祈った。
ミヤギが順調に働き続け、借金を返し終わった後、
俺のことを忘れちまうくらいに幸せな毎日を過ごせるよう、俺は祈った。三日間を何に費やすかは、最初から決めていた。
俺はかつてミヤギと一緒にめぐった場所を、今度は一人でめぐった。思いつきで、俺はミヤギがいるふりをしてみることにした。
手を差し出して、「ほら」と言って、空想上のミヤギと手をつないだ。

周りから見れば、いつも通りの光景だったろうな。
ああ、またクスノキの馬鹿が架空の恋人と歩いてるよ、みたいな。

でも、俺にとっては大違いだったんだ。
俺はそれを自分からやっておきながら、
まともに立っていられないほどの悲しみに襲われた。

 

264名も無き被検体774号+2013/05/08(水) 14:13:18.98 ID: ID:3etpqdGe0

噴水の縁に座ってうなだれていると、
中学生くらいの男女に声をかけられた。男の方が俺に無邪気に話しかける。
「クスノキさん、今日はミヤギさん元気?」「ミヤギはさ、もう、いないんだ」と俺は言う。女の方が両手を口にあてて驚く。
「え、どうしたの? 喧嘩でもしたの?」

「そんな感じだな。お前たちは喧嘩するなよ」

二人は顔を見合わせ、同時に首をふる。
「いや、無理じゃないかな。だってさ、
クスノキさんとミヤギさんですら喧嘩するんでしょ?
あんなに仲良しの二人でさえそうなるなら、
俺たちが喧嘩しないわけがないじゃん」

 

265名も無き被検体774号+2013/05/08(水) 14:16:24.67 ID: ID:3etpqdGe0

気付けば俺はぼろぼろ泣いていたな。
二人は、そんなみっともない俺をなぐさめてくれた。で、驚いたことに、俺の想像している以上に
俺のことを知ってるやつは多いらしくてさ。
“またクスノキが新しいことやってるぞ”って感じで、
徐々に俺の周りには人が集まってきたんだ。俺はミヤギとは喧嘩別れしたってことにしといた。
向こうが俺を見限って、捨てたってことにしたんだよ。「ミヤギはクスノキの何が気に入らなかったんだろう?」
女子大生っぽい眼鏡の子が、怒ったように言う。
まるで本当にミヤギが存在したかのような口ぶりでさ。

「こんな良い人をおいて消えるなんて、
そのミヤギってやつは、本当ろくでもない女だな」
若いピアスの男はそう言って、俺の背中を叩いてくれた。

俺は何か言おうとして顔を上げて、
でもやっぱり言葉につまって、
――そのとき、背後から声がしたんだな。

「そうですよ、こんな良い人なのにねえ」って。

 

267名も無き被検体774号+2013/05/08(水) 14:21:22.32 ID: ID:3etpqdGe0

その声に、俺は聞き覚えがあったんだよ。
一日や二日で忘れられるもんじゃない。
俺にその声を忘れさせたかったら、三百年は必要だね。声のした方を向く。
俺は確信していたんだ。
聞き間違えるはずはなかった。
でも実際に見るまでは、信じられなかった。「そのミヤギって人は、ろくでもない女ですね」ミヤギはそう言うと、自分でくすくす笑った。

 

269名も無き被検体774号+2013/05/08(水) 14:23:30.70 ID: ID:3etpqdGe0

「……すごいですよね、たった三十日で、
私の人生の大半を買い戻しちゃったんですから」隣に座ったミヤギは、俺によりかかりながらそう言った。周りの人間はあぜんとした顔でミヤギを見てたね。
そりゃまあ、実在してるとは思わなかっただろうなあ。「あんた、もしかしてミヤギさん?」と一人の男が訊ねて、
「そうです。ろくでもないミヤギです」と彼女が答えると、
俺の手を取って「良かったな!」と祝ってくれた。

だが、当の俺はまだ事情を飲み込めずにいた。
なんでミヤギがここにいるんだ?
どうして周りの人の目にミヤギが映ってるんだ?

 

270名も無き被検体774号+2013/05/08(水) 14:27:00.82 ID: ID:3etpqdGe0

ミヤギは俺の手を握り、説明してくれた。
「つまり、私もあなたと同じことをしたんですよ」俺が寿命を三日だけ残して売った直後、
あの代理監視員の男が、彼女に連絡したらしい。
『クスノキとかいう男、自分の寿命をさらに削って、
お前の借金をほとんど返しちまったぜ』、ってさ。それを聞いたミヤギは、すぐに決断したそうだ。「三日残して、あとは全部売っちゃいました」とミヤギは言った。
「おかげで、借金を返しても、まだまだお金があまってます。
三日間だけじゃ、とっても使い切れないくらい」

 

273名も無き被検体774号+2013/05/08(水) 14:31:04.58 ID: ID:3etpqdGe0

「さて、クスノキさん」

ミヤギは俺に微笑みかける。

「これから三日間、どう過ごしましょう?」

 

274名も無き被検体774号+2013/05/08(水) 14:33:07.76 ID: ID:3etpqdGe0

多分、その三日間は、

俺が送るはずだった悲惨な三十年間よりも、

俺が送るはずだった有意義な三十日間よりも、

もっともっと、価値のあるものになるんだろう。

 

275名も無き被検体774号+2013/05/08(水) 14:36:55.44 ID: ID:3etpqdGe0

おしまい。

 

 

引用元:寿命を買い取ってもらった。一年につき、一万円で。

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