真奈美の誕生日の1ヵ月後、再検査があった。
長時間の検査で出てきた疑いは「脳ヘルニア」というものだった。
生まれつき血管が脆く、この状態になるまで殆どの人が気づかないらしい。
その報告をしてくれたのはちょうどある湖へドライブしにいってたときの事だった。
その日はもう冬が近い日だった。
12月に入ってから検査入院すると伝えられた。
いつもは日帰り検査だったから、検査入院となったことがびっくりだった。
「前言ってたとおり、髪の毛全部剃っちゃうかも。
そうしたらもう1とは会えないね。」と言っていた。
「大丈夫、大丈夫だよ」としか言えなかった。
湖付近の空気はとても澄んでいて、気持ちが良かった。
そして真奈美を家まで送って帰り、いつものオービス付近でやっぱりメールが来た。
「今日はありがとう!美味しい空気が吸えていい気分転換になったよ。
検査入院、頑張ってくるね。退院したらまた遊ぼう」
と言う内容だった。
俺も「辛くなったらいつでも俺に言えよ。
頑張らなくていいんだから。
真奈美が頑張ることが辛かったらいつでも俺に言ってくれ。
その時は変わりに俺が頑張るから」と伝えた。
>>104
けど親にもこれ以上迷惑かけられないし、このまま働きたくてもアルバイトしかできないのは辛い。
そうしたらもう、私を支えてくれている人と結婚しかないのかなって。
その考えがよくわからん。
>>113
自暴自棄だったから。
あと彼女は事情があって親と不仲で、手術とか検査とか極力親に負担をかけたくないっていうのをしきりと言ってた。
とにかく彼女の親を「ないもの」と思いたかったらしい。
夜にまた来る。
支援サンクス。
ちょっとずつ続きいきます。
検査入院の日になった。
12月6日だった。
当初、検査は1~2泊で終わると聞いていた。
しかし、連絡が来なかった。
2日、3日と待った。その後さらに1週間、2週間と待った
ぱったりと連絡は来なくなった。
そして俺にとって大切な日が来た。
クリスマスだ。
いや、正確に言うとクリスマスの前の23日、天皇誕生日のほうが期待していた。
また真奈美からサプライズでメールが来るんじゃないかって。
でもやはり23日には何も起きなかった。
翌24~25日は大学での参加自由の補講に出席していた。
俺の大学は20日過ぎには冬休みに入る。
だから24、25日の2日間の補講の日は、キャンパスに殆ど人がいなく、
とても寂しかった。
唯一、俺の事情を知る大学の友人がたまたま別の補講に出ていた。
補講の後に1杯だけ缶コーヒーを飲んで別れた。
これから彼女に会いに行くそうだ。
羨ましかった。
補講から帰ってきて夜になった。
1年前とは全く逆のクリスマス。
1年前が最高すぎたため、楽しくないどころか、辛かった。
でもその頃に俺が唯一思っていたことって、
「真奈美の体が無事でありますように」だった。
きっと真奈美は今も辛い思いしてるんだ。
俺だけ楽しむわけには行かない!
そう自分に言い聞かせた。
そして25日の夜、メールが来た。
真奈美からだった。
メールの内容はクリスマスケーキのデコメが入った可愛い感じだった。
文は当時のまま。
「久しぶり。元気にしてるかな?
私は手術が終わった後、体調が悪い日々が続いています。
まぁとりあえずメリークリスマス!風邪引かないようにね。」
だった。
検査入院→即手術という流れだったらしい。
俺は嬉しかった。
体調が悪いにしても真奈美が無事なこと。そして俺に連絡をくれたことが。
俺はすぐに返事をした。
「ありがとう!メリークリスマス。
とりあえず成功したみたいで良かった。
まずは体調優先。寒いし暖かくしてな。」
と返した。
聞きたいことは沢山あったが、細かいことは聞かなかった。
何となく聞いちゃいけない気がして。
真奈美からの返事はその後来なかった。
俺は体調を懸念して、とりあえずメールが来たことを喜んだ。
そして年が明けた。
お正月になった。
お正月といえばあけおめメール。
たまにしか連絡を取らない人でも、この時ばかりは連絡が取れる、年に1度の日。
みんなもそうじゃないかな。
俺は真っ先に真奈美にメールをした。
内容は無難な、返事をくれてもくれなくてもいいような感じ。
「あけましておめでとう。今年も宜しく。体調よくなったらまたドライブ行こうな」的な
でも真奈美からの返事は来なかった。