電話にはすぐに出た。
そこに出たのは真奈美ではなかった。
真奈美のお兄さんだった。
俺は混乱していた。何でお兄さんがでるんだ?
からかわれているのか?と
しかしそうでは無かった。
俺はそこで初めて知らされた。
真奈美が亡くなっていたと。
頭が真っ白になった。
けどどこか冷静な自分がいた。
真奈美のお兄さんは俺に落ち着いて聞くようにと促した。
俺はただ、「はい」としか答えられなかった。
「実は1年前の12月に真奈美は死んだんだ。
死因は悪性の脳腫瘍だった。」
お兄さんは続けた。
「1君には『私が死んでも1年間は1には伝えないで欲しい』と真奈美からずっと言われていたんだ。
俺は真奈美が亡くなってすぐに知らせたかったけど、生前真奈美はそれだけを頑なに拒んでいた。」
と言った。
俺は、「真奈美との約束を破らないでくれたんですね。ありがとうございます。」と言った。
その日の週末に初めて真奈美のお兄さんと会い、お墓参りに行った。
お兄さんは「ちょうど一回忌が終わって落ち着いたところだ」と言ってた。
ご実家にもお邪魔し、お線香をあげた。
そこで空白の1年についてお兄さんから教えてもらっていた。
俺と最後の花火大会に行った6月から、既に体調は芳しくなかったそうだ。
お兄さんの話だと、かなり無理して花火大会に行っていたとの事。
既にその頃は余命数ヶ月とかのレベルだったらしい。
真奈美はお兄さんとそこまで仲が良くなかったが、俺の話だけはしていてくれたみたいだ。
「花火大会後はずーっと入院だったんだ。でも自分がボロボロになっていく姿を、1君だけには見せたくなかったみたい。」
と言っていた。
付き合っていた時に1度だけ
「私が病気や怪我でボロボロになっちゃっても、1は私と付き合える?」
と真奈美に聞かれていたことを唐突に思い出した。
当然その頃は「当たり前だろ、俺真奈美大好きだもん!」といって笑っていたが、
当時からその予感が真奈美にはあったのかな。
いろんな真奈美との話や思い出が、お兄さんが一言一言しゃべる度に走馬灯のように蘇った。
お兄さんは、亡くなって1年間は連絡しなかった理由についても続けて語った。
俺が若手ながら社会人で頑張っているところに、真奈美起因で俺の気持ちを動揺させたくなかった
というのが一番だったらしい。
お兄さんは入院中にも、俺への連絡を真奈美に勧めたが、真奈美はただひたすらそれだけはと拒んだ。
それは真奈美の俺に対する気持ちの表れだと言った。
「最高の状態で幕を閉じたかったんだよ真奈美は」と。
お線香の火が消えるころ、帰ることにした。
最後にお兄さんはじめ、真奈美のご両親に真奈美の前で言った。
「こんな自分ですが、真奈美さんの事は結婚を考えるくらい好きでした。
本当に真奈美さんは私に色々なかけがえのないものをくれました。
心の底から感謝しています。」と。
ご両親も「1君と出会えて真奈美は本当に幸せだったと思います。
1君の事は私たちもよく入院中に聞いていました。
今まで本当にありがとうございました」と言われた。
玄関から出る時にお兄さんから封筒を渡された。
「真奈美から生前に渡されたものです。
帰宅したら中を見てください。」と言われた。
最後に「またお線香をあげに来てもいいですか?」とご家族に聞いたら、
「もちろん。真奈美も喜びます。本当にありがとうございました」と言われた。
俺は家に帰った。
ご家族と話はしたが、まだ真奈美が亡くなったって言う実感が無かった。
家についても終始、ボケーっとしていた。
1時間くらい何も考えずにラジオを聴いていた。
そんな時にラジオから俺と真奈美が花火大会に行った街の特集が流れ出した。
クリスマスイルミネーションがどうだとか、イベントがどうだとか。。
それを聞いて俺は我に帰り、真奈美のお兄さんから受け取った封筒の中身を見た。