702名無しさん@おーぷん2014/10/20(月)02:58:04 ID: ID:jEtjPZM0v

そして初めて触れた「インターネット」は、私に「キモい」以外の特徴ともなりました。
PCの授業でフリーズしたほかの子のPCを処理したり、初めてのPCで授業に追いつけない子の面倒を見たり。
そうこうしてる内に一部の子から、「あれ?こいつ意外と悪い奴ではないのでは?」と評判になったらしく、
劇的な変化はありませんでしたが、放課後純粋に遊びに誘って貰えたり、クリスマスパーティーにまで呼んでもらえるようになりました。また、A子の立場も揺らぎ始めました。
小学校低学年の頃はその天真爛漫さが魅力となっていましたが、どうも行き過ぎてしまったようで、
所謂「勘違いしたかまってちゃん」的評価となっていたようです。

「インターネット」というものはこの点でも活躍してくれました。
自分の簡単な身の丈と、Aのことをネット掲示板でぼやくと、「Aの友達と遊んでみたら?」とのアドバイス。
最初はそのアドバイスの意味が分かりませんでした。
けれど4年近く家でも学校でもいじめられてきた自分にとって、
ネットの情報は何よりも貴重な「自分をいじめない人の、信用できる意見」でした。
試しに遊びに誘って色々話してみれば、出るわ出るわAへの不満。
そこからAの友人らは私と遊ぶ機会が多くなり、Aは孤立していきました。

 

703名無しさん@おーぷん2014/10/20(月)03:03:42 ID: ID:jEtjPZM0v

母と父、そして兄と私の関係も逆転していきました。
今まで「働いてやっている」と母に罵詈雑言や暴力を行っていた父は、
がんを患い闘病生活を支え、その後も働いて面倒を見る母に頭が上がらなくなりました。
母も積年の恨みがあったのでしょう、父にイヤミを何度も何度も何度も何度も言うようになりました。
父はいつしか、部屋から出てこないようになりました。私達に対する母の過保護は更にエスカレートし、門限、お小遣い、着る服、靴。
どれに対しても不満を言えば即叩かれ、あげく包丁を持ち出したり、
一般道で私達を乗せたまま「死んでやるー!!」と泣き叫び時速120Kmを出してハンドルをぐるぐる回す等。
今までも叩かれることはあったのですが、いよいよ命の危険を感じるようになりました。

また、いじめから少しずつ脱却していく私に対して、兄のいじめはエスカレートしていきました。
兄はどんどん卑屈になって小学6年にして2chへ没頭。
また命の危険を感じる母の脅迫に兄は精神的に屈し、口数少なくただ母の言うことだけ聞くようになりました。
剣道を嗜み、色んなお姐さんの憧れの的だった兄は最早どこにもいませんでした。

 

704名無しさん@おーぷん2014/10/20(月)03:10:48 ID: ID:jEtjPZM0v

小学五年の頃、新人教員が私のクラスを担当することになりました。
所謂熱血教師というやつで、古き良き男性教員でした。初めはクラスになじむのに精一杯だったようですが、なじむにつれ、
私を取り巻く環境が異常だと気付いたようでした。
当時の私は最早その環境を異常だと思わず、
「頭のおかしい自分が皆に『キモい』といじってもらえる幸せな環境」だとばかり思っていました。
また、「身を粉にして働く母を一生傍で支えなければいけない」とも。

このことを面談で話すと先生は憤慨。
生活科の時間二つを丸々割いて、クラス、いや学年全体にはびこるいじめに対する指導を行いました。
今○○を取り巻く環境はおかしい。○○に嫌なことをされた奴はいるか?いるなら教えてくれと。
一人だけ「○○と喧嘩をしたことを根に持っている」という男子が手を上げましたが、
「じゃあ、改めて二人で謝ろう。それで終わりだ」と言い、双方謝罪をして終了。
あとは誰も手を上げませんでした。私は皆に対してほぼ何もしていないのですし、当たり前なのですが。

そこから全員、打って変わって親しげに話しかけてくるようになりました。
キモいと呼ばれることもからきしなくなり、当たり前の、少女マンガにあるような日常がやってきました。
嬉しかったです。うれしかったですが、
それと同時に「1時間足らずで終わった五年間はなんだったのだろう」という気持ちが沸きあがりました。
この頃から、自覚なく人間不信になっていたと思います。

 

706名無しさん@おーぷん2014/10/20(月)03:17:04 ID: ID:jEtjPZM0v

中学に上がると、更に人間関係に変化が起こりました。
別の小学校の生徒も当然混ざってくるのですが、うちの学校の生徒との比率が2:8という感じで非常に少なく、
他校の生徒の、サバサバしてドライな風潮が主流となりました。すると私は他校の生徒に非常に好かれ、あっという間にクラスの中心に。
同じ小学校の生徒もそれをあやかりに集い、「ちょっとぬけてるけど優しい子」ポジションに落ち着きました。
Aは目も当てられない程に転落し、「ぶりっこ」「勘違い」「気持ち悪い」といじめられる程に。
助けようかと思ったのですが、初日の自己紹介で「前の学校では『姫』って呼ばれてました!」と言ってたらしい話を聞いて、
ああ無理だと思い、「誰も姫なんて呼んでなかったよ」と他校組に伝え、更にいじめはエスカレートしていきました。

私生活になんの不満もありませんでした。彼氏もできて、それはもう幸せの絶頂でした。
なのにどこか虚しく、結局私はネットにどっぷりと嵌っていきました。
その頃ようやく、「顔見知りより、ネットの人の方が信用できて話しやすくなっている」という事実に気付きました。

 

707名無しさん@おーぷん2014/10/20(月)03:21:24 ID: ID:jEtjPZM0v

Aは、いつの間にか学校に来なくなっていました。
卒業式にも来ませんでした。風のうわさによれば、遠くへ引っ越したそうです。高校も似たような感じで、ただただ温和に過ごしていました。虚しい気持ちに目を逸らしながら。
そしてこの頃から、母の過保護が最早病気の域に突入しました。
父は、正真正銘の病気となりました。うつ病です。
その頃父の顔を見るのは年に一回とかそんなレベルでしたし、当然と言えば当然ですが。

父は入院しました。
私は正直父のことはどうでもよかったですし、そのまま死んでくれていいのにと思うほどでした。
しかし母の過保護はこの入院を機にますますひどくなり、友達と遊ぶのはだめ、部活はだめ、お小遣いは報告制(文具しか購入不可)。
学校では付き合いがあんまりよくないけど面白い子、という感じになりましたが気にしませんでした。ネットがあったので。
修羅場に突入したのは、母がその「ネット」に敵意を向けた頃からです。