二十年以上前の、私と両親の修羅場。
まだ私が幼稚園児の頃、両親、私、弟の四人で大きな公園に出掛けた。
そこには沢山の遊具があり、私たち姉弟ははしゃいでいた。
その遊具の中に、滑車がついたロープに掴まって
支柱に張ってあるロープの間を滑って遊ぶものがあった(説明が下手ですみません)
私たちはこれが大好きで、何回も滑って遊んでいた。
そのうち、父親が滑り始めのときに勢い良く押し出してくれた。
スピードがアップして滑っていくので、私たちは大喜び。
それを見た父は、今度は思い切り力を入れて私を押し出した。
物凄い速さで滑っていく私。
怖い、速い、どうしようと思っていると、気が付けば目の前に砂だらけの地面があった。
両親から後から聞いた状況によると、滑車はロープが張ってある対岸の支柱に激突。
私はその衝撃で放り投げられ、そのまま頭から落下。
再度地面でバウンドして、今度は顔から落下。
数秒間泣かず、動かなかったため、両親は私が死んだと思ったそうです。
その後、私が大泣きしたため、急いで私を背負って管理室に走り、救急車で病院へ。
頭を強打していることから、脊髄の損傷と脳へのダメージの可能性があったらしく、そのまま入院。
入院中は絶対に首を動かさないこと、起きあがらないことを告げられた。
その入院中も、吐いたら脳へのダメージがある可能性があると医師に言われているのに、
父の前で嘔吐したり(単に空腹過ぎるときに食事して気持ち悪くなった)
私が寝ている間は寝返りをして動かないように、母が一晩中押さえつけたりと、
両親にとっては修羅場の連続だったそう。
その後、私は特に後遺症もなく数日後に退院し、元気になりました。
それでも両親は、退院後も顔の傷は跡が残らないか、頭を打ってハゲたところに髪の毛は生えてくるか、
頭痛は後遺症かと心配は絶えなかったそうです。
大事にならなくて、良かったね
しかしこれでもし死んだり、後遺症が残ったりしたら
お父さん…死ぬまで修羅場つか、地獄の業火ものだった
入院中は父が泣きそうな顔で「ごめんね、ごめんね」と何度も謝るので、
「私が鈍臭いから遊具の手を離して怪我して、お父さんを泣かしている」と悲しくて、
「大丈夫だよ!痛くないよ!」と答えていましたが…
親にしたら余計に辛かったでしょうね。
母は後遺症が残ったら離婚していたと言っていました。
私にとってはトイレに行けず、オムツかベッドの上で排泄しなくては行けなくて、
「赤ちゃんじゃないのに」と凄く恥ずかしかったのが修羅場。